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6d252b61 anonymous 2024-03-11 12:48
>>5cb96fac

私には、オールドタイマーさんは、『因子』の内容を(ニューエイジ的な解釈或いは信仰によって)誤解しておられると思われます。

※オールドタイマーさんが、いったい『因子』についてどのような理解をしておられるのか、大変興味を持っています。

ここでは端的に申し上げます。ニューエイジ系スピリチュアルでよく語られる「ワンネス」という概念が存在します。このワンネスという状態は、MESTユニバースにおける(生命もMESTも含めた)全ての視点です。このワンネスの認知を得ると、「私という個は幻想だったのだ、全ては繋がっているのだ、万物は一体なのだ」という信念とともに強烈な高揚感を得ます。LRHの言うところの「柱に昇った(※柱に昇って宇宙の真理を垣間見た)」状態です。そのワンネス体験も一過性のものであり、その人は、やがて、平凡な日常へと戻っていきます。

此処からが真のスタティック(涅槃/セータユニバース)≒真正のOTへの分岐点です。MESTユニバースの全視点とは、言い換えればMESTユニバースとの一体化であり、これは低レベルなコグニションです。なぜなら、我々住むこの集合宇宙の外側には、幾つもの古い集合宇宙が存在しているからです。もちろん、外側の宇宙における全視点というものもあり得るでしょう。しかし、究極的に求めるべき涅槃たるセータユニバースにおける存在性とは、全ての集合宇宙や天界からの外在化に他なりません。

さて、強烈なワンネス体験から、平凡な日常に戻ると、「全ては一つ(私という個は存在しない、私はあなたであなたは私)」というコグニションが全く機能しないことに気付くでしょう。そして、日常生活の苦悶の中で、ワンネスのコグニションがよりメタな視点にアップデートされていくと、ワンネスと言っても、それは“私の”ワンネスなのであって、私以外の他者が依然として存在するのだということに徐々に気付いてきます。つまり、ワンネスはセイタンの数だけ(無限に)存在し得るという認識です。これが、「私は私で、あなたはあなた」という高次のコグニションなのです。

サイエントロジーは、私という個の融解を目指すような宗教実践体系ではありません。真正のOTとは、究極の個の確立であり、ケースレベルが上がるほど、他者と自己ははっきりと区別されていきます。

そして、その個の能力は同一ではなく千差万別です。どのセイタンも、他者つまり過去の創造物(ゲーム)を知る能力=ノーイングネスは潜在的に同じです。一方、MEST及びゲームの創造物を創造する潜在的な創造性の能力(未知のゲームを創造する能力)には明らかに違いがあります。前者は受け身としてのノーイングネスであり、後者は起因としてのノーイングネスです(LRHの『サイエントロジー:思考の原理』参照)。

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