Freezone

18545967 anonymous 2010-03-06 22:37

[[remove]: 6a12c335]]
21656a12 anonymous 2010-03-06 22:38

[[remove]: 11f56959]]
0eb626cb anonymous 2010-03-07 02:08
将来、海外のフリーゾーンでブリッジを昇ることを検討しているのですが、英語素人が話すのはかたことでも、ヒアリングを日本語と同様に、違和感なく身に付けられる様になるには、どれくらいの期間を必要とすると思われますか?
a55b2a9e 43f6a3fa 2010-03-07 03:09
自分自身、心身ともに相当に病み、死の淵を綱渡りしながら生きてきましたが、
身体症状の名医にも、自身が病気持ちとして、相当な苦労をした方が多いです。

心身相関症状で西洋医学(内科・精神科含む)が全く役に立たなかった経験から、
漢方・鍼灸・カイロなどの代替医療(?)に走りましたが、鍼灸、カイロの中で凄腕の人たちは、
いずれも自身が患者として相当に苦しんだ経験と、医者めぐり、療法家めぐりを経験した人達でした。
患者の経験がある人達は、探究の仕方が段違いです。
鍼灸の先生いわく、50軒回って、効いたのは2.3軒あったかどうかぐらい、とのこと。

結局のところ、動機の違い、求道心の違い、ということになってくるのだと思います。

ところで、話は変わりますが、old timer氏には個人的に大師というイメージすら持っております。
大姉大師または菜園大師とでも諡号したくなる感じです(笑


しかしながら、菜園教会組織が危険すぎるとなると、日本語話者はどうこでどうオーディティングを受ける機会があるのでしょうか・・・
ほとんど無いような気がしますが・・・
5c95fecf old timer i1b5ibip3kS 2010-03-07 11:39
>>0eb626cb

年齢にもよる。

10代ならば、環境がどうあれ、Flow 1とFlow2に限定すると、約半年で問題がな
くなるだろう。

20代ならば、オーディターとしての訓練を並行実践することで、会話の機会を極
端に多くしても、約1年くらいはかかると思う。
cfb75983 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-07 11:53
>>a55b2a9e

アメリカでも、菜園の歴史の初期には、オーディターの数はとても少なかった。
だから、オーディティングを受けたい人同士が集まって、自らオーディターにな
り、互いにオーディティングを施した。

1960年代の半ばまで、菜園の実践者はPCであるとともにオーディターでもあった。
だから、橋はそれほど高価なものでもなかった。

その後、オーディターが職業として固定化し、オーディターとしての訓練を全く
受けることなくクリアーやOTになろうとする人が増えた。橋は高価になり、菜園
と周辺社会との間の摩擦は、宗教的なものに加えて経済的なものも含まれるよう
になった。

お金がたくさんある人は、教会組織を利用しても、自由領域に参加している個人
オーディターや組織を利用してもやっていける。

お金を節約したいならば、自らオーディターとして頑張るか、全てソロで実践す
るしかない。

俺がやれることは、今年の8月から、«Self Clearing»を皮きりに、自由領域文献
の翻訳を進めていくことくらいだ。幸いにして新月にはファイルをアップロード
する機能があるので、配布には困らない。
d2ea58f6 anonymous 2010-03-07 20:07
このスレにはついていけない・・・・
db32456b anonymous 2010-03-08 02:11
ここに書き込んでる人は、死ぬのは怖くない?
俺は正直物凄く怖い。できれば死にたくないw
菜園が言う何十兆年の魂の歴史は真実なのかもしれんが、
一方でやっぱりそれって単なるフィクション(作り話)じゃないかという疑念が消せない。本当は死んだら終わりじゃないのかってね。
菜園では「死」というのをどう捉えているのか?
15b24aef anonymous 2010-03-08 03:49
>>db32456b

僕はかつて肉体の死がとっても怖かった。痛みや苦しみ、
そして死に際の醜い姿を人にさらすことに抵抗があった。そしてそれがすべての終わりだという観念にも真実味を持っていた。
今でもその気持ちは完全には拭い去れていない。

しかし今は自分が死んだ後の、家族の精神面のケアや食い扶持の心配の方が大きい。
肉体なくして「この世」においては、意図的な活動はできない、という思いが強烈だからだ。
もし、自分がOTであれば、その障壁を潜り抜けられるだろう。そこに希望を見ている。
死は怖い。だが今は自分の肉体上の死を怖れるよりも、残していかなくてはならない者たちの方が気になる。
このような気持ちになるまでに、僕は25年も掛かった。もっと早くワークに出会えていたならと思う。
0d6589c4 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-08 09:32
>>db32456b

現行生涯より前に菜園を経験した転生菜園人にとって、肉体が死ぬことそのもの
は恐くない。過去に肉体が死んだ時の記憶がたくさんあるので、俺自身が死ぬの
ではないことに確信がある。この生涯で再び菜園にかかわる前、アメリカで拳銃
を突きつけられたことがあったが、それも全く恐くはなかった。

むしろ、恐いのは転生の結果だ。

感覚面に深刻な障害を持つ肉体に宿ってしまったら、活動は大きく制限される。
アフリカの紛争地帯で少女兵士になってしまったら、夜は男たちにレイプされ、
昼は前線で銃撃戦を強いされる。自然による不都合と人為による不都合の強制が
恐い。
d144980f anonymous 2010-03-09 03:43
>>0d6589c4

転生先を選ぶことはままならないのですか?
9b5f44b0 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 09:10
>>d144980f

俺の現在のパワーとケースレベルでは転生先を自由に選ぶことはできない。次の
転生先は今のところ北欧になりそうだが、これは明日にでも変更されるかもしれ
ない。

転生時に俺ができることは、記憶と技能の認知保持くらいのものだ。
b8a6231c anonymous 2010-03-09 12:04
転生先を選べるようになるには、一体どれくらいのレベルになればいいのでしょうか?
d4e6577e old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 16:27
>>b8a6231c

自己の断片のうち、この宇宙内部で魂や体魄(BT)として活動中のものすべてを回
収すれば、この宇宙内の転生先の選択に他の魂との競合によるもの以外の制限は
とりあえずなくなると思われる。

その状態に近づくほど、選択の自由は大きくなる。
d2bc96b9 anonymous 2010-03-09 17:13

自由領域実践家が現在実際に行ってる、自己の断片回収の基本的手順をいつかご教示していただけますか?

テレパシー的に自己の断片に呼びかけ、こちら側へと注意を向けさせることや、
慈悲の瞑想等によって、自己の断片の分離要因に対するこちら側の抵抗感を緩めること。
また再統合しにくい断片に関しては、断片に、分離の瞬間を大姉で潜り抜けさせチャージを消すこと。
などのことは、菜園あるいは自由領域ではどのようにテキスト化(手順化)されているのでしょう?
a1c30732 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 17:36
まず、NOTsは他者の断片を取り除く。他者の断片にテレパシーで話しかけ "What
are you?"(あなたは何ですか?)、"What were you before that?"(その前にあな
たは何でしたか?)で処理する。これでうまくいかない場合、他者の断片がやって
来た時を大姉で処理する。あるいは、極単純なNOTsという手もある。

慈悲の瞑想は試験的に実践している人がいるだけで、広範に普及しているのでは
ない。理論上、GPM処理を続けても同様の効果が得られるはずで、GPM処理のほう
が遥かに人気がある。俺は古典的なゴール処理が好きだが、あるゴールの処理を
終えて次の処理すべきゴールを見つけるのにトーンスケールを用いるAspectika
というものもある。

分離の瞬間の処理は標準的な大姉そのものだ。
2a52a6fc anonymous 2010-03-09 22:25
ちょっと待ってくれ。なぜ、みんな肉体の死後、再び転生することを選ぶんだ?

転生は執着の結果だというのが、仏教などの基本的な教えではなかったか?
もう転生しないでいいように、様々な宗教的な教えがあるわけだろう?

原始仏教のように欲を捨てたり、あるいは、阿弥陀仏を拝んだり、チベットの死者の書の教えとか。
禅宗だったら「自分=その他の全て」に気づくことかな?

こういった教えを踏まえると、来世を考慮するってこと自体、時間の輪から抜け切れていない、菜園が目指すところであるはずの悟りからは程遠い状態だということになりはしないか。

確か、教会スタッフのほとんどは、異常なまでに未来生に拘っていたな。
未来に再び肉体として生まれ変わることを前提として物事を考えていた。
366297c3 anonymous 2010-03-09 22:54
ここって宗教スレか?
f05de4b0 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-09 23:00
>>2a52a6fc

その件は2chのスレで何度か語ったことではあるが···

俺自身は確かに菜園が最終的な境地として目指す悟りからほど遠い。

しかし、菜園は仏教パワールートの1つなので、能力の回復を積み重ねて悟りに
至ろうとする。俺が近未来に叶えたい希望の遠い遠い延長線上に、菜園の最終的
な目的があれば、俺の実践はそれでいい。
6cad257b anonymous 2010-03-09 23:48
多分、菜園教会に関わった多くの人が、肉体の死後、強制的に再び人間に転生することになると勘違いしていると思う。

より優れた肉体をゲットすることがどうのこうのとか、
また生まれ変わることが前提で議論をする。

多分、前世の記憶が甦ったりするから、当然、来世もあると判断するからだろうけど・・・。
反応心を消さないと、来世も反応心はそのままだという強迫観念に駆られている。
19535171 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-10 00:12
>>366297c3

ここはとある宗教のとある派についてのスレだ。

>>6cad257b

あらゆる問題を解決できるようになれば、どのような問題も解決する必要がない。
問題解決能力を獲得することで、問題解への執着を消し去るのが仏教その他パワ
ールートの特徴だ。

一気に執着を捨てたい人ならば、菜園ではなく他の何かを選択したほうが良いだ
ろう。

菜園人が獲得する転生時の随意記憶保持能力は、まぁ、スピリチュアルなモラト
リアムといっていい。俺自身は、もうちょっと能力を引っ張り上げて、短くとも
10億年くらいはそのモラトリアムを楽しむつもりでいる。
4bad4fd0 anonymous 2010-03-10 09:27

世界に散乱した自己の回収と自己にあらざるものの分離こそが「私」のやることだ。
これはマニ教の時代から変わらぬ課題であり、それこそが自己の根源的全体性の回復だ。
この過程が進むにつれ転生への強制力は意味を失い、かつ究極的には輪廻しようがしまいが、どちらでもでもよくなる。
そのときこそ輪廻転生というコンシダレーションが無化されるだろう。
道の途上においては、能力の土台たる土壌は肥沃化され、それを用いて楽しむことも自由だ。
2de64236 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-11 13:56
自由領域での菜園の実践は、幅度由来の教義に必ずしも縛られない。俺はどちら
かといえば保守派なのだが、理論に反しない範囲で他の体系からの実践を取り入
れている。

原始仏教の慈悲の瞑想(Metta Bhâvanâ)は菜園の構造的な実践にそのまま収まり
やすいが、仙道はそうではないので、セッション外で菜園と並行して実践してい
る。

中国で仙道が生まれた背景には、もちろん、道家思想もあるが、苛烈な政治と内
陸の峻厳な冬が無関係ではないような気がしている。仙道を実践すると、体がや
たらと寒さに強くなる。気を練って体の左右中心軸に沿って動かすのも、もとも
とは、寒さに耐えることを目的とした実践であった可能性がある。体を温めよう
としていたら、強く練られた気が偶然に周ったのではないだろうか?

これを確かめるために、小周天を行おうとせず、丹田で気を練り続けてみたとこ
ろ、それだけで気は腰の命門まで動いて行った。振動を感じたので、腰を気の壁
に押し付けてみたら、ビーンという音が聞こえた。

この方向に新しい突破口が開けそうな気がしている。
7f35155d anonymous 2010-03-11 19:22
>>2de64236

僕の仙道的実践では、「振動」の強度が射精した後では数日間弱まる傾向があります。
オールドタイマーさんは、そういうことはありませんか?
しばらく「断射」していると振動が全身を包み、法悦状態と言いますか、(まあ、言うなれば唯の強烈な快感なんですが)それを体感できます。
しかし、「出してしまう」とそれは長時間粘っても経験できなくなります。
「出し方」に問題があるのでしょうか?(例えばもっと長く異性と触れ合ってから発射するとか・・・)
284f02bd old timer i1b5ibip3kS 2010-03-11 21:18
>>7f35155d

そのあたりは個人差があるのではないだろうか?

俺は性行為の影響を感じたことは皆無だ ― つまり、行為の直後でも振動を起こ
せる ― が、十分な睡眠 ― 少なくとも直前の夜に8時間 ― を取っていないと
全く、本当に全く気を練ることができない。

日曜日以外に仙道の実践ができなくて不自由だ。
7c7ba6c7 anonymous 2010-03-12 00:40
>>2de64236

「この方向に新しい突破口が開けそうな気がしている。 」

ここで言われる「突破口」とは何を指しておられるのですか?
34249e3e old timer i1b5ibip3kS 2010-03-12 08:19
>>7c7ba6c7

大周天や六神通のこと。目当ては4次元操作能力だ。

それを獲得することで、大姉をさらに深く実行できることになる。
07adc1c6 anonymous 2010-03-12 19:59

「気を練ること」で現れるあの「振動」は、いったい何なのですか?
f2cdb399 anonymous 2010-03-12 20:27
正直あたまいっちゃってる
b67959f6 anonymous 2010-03-12 23:40
>>f2cdb399

いつもチョコチョコ突っ込み入れるのお前か?
鬱陶しいからいちいち書き込むな。
5d77b5fe old timer i1b5ibip3kS 2010-03-13 07:24
>>07adc1c6

魂の能力の1つだろう。
9a50fa64 anonymous 2010-03-20 21:22
>>b67959f6
まぁまぁ落ち着け。
そんなヤツ相手にするな。
58ce6c4b 名無し 2010-03-23 16:38
テスト投稿
e60dece7 anonymous 2010-03-25 10:35
菜園の言う究極の悟りの境地、還虚合道レベルに到達することなんて
永遠に不可能なんだろうな、きっと・・・。

もちろん菜園に限らず。

これまでに到達した人は誰もいないし、これからも到達する人などいない。
それが真実な気がする・・・。
b72ef266 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-26 11:05
>>e60dece7

その通り。時間を超越しなければ、"永遠に"不可能だ。
76309848 anonymous 2010-03-26 23:07
>>b72ef266

時間が存在する、と言うコンシダレーションの上位に立つには、どのようなプロセスをどこからはじめるのですか?
9fb65954 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-26 23:24
>>76309848

俺も時間を超越していないのだから、当然、俺にもわからない。わかってしまっ
たら、多分、俺はこの宇宙に最初からいなかったことになるに違いない。
97edd354 anonymous 2010-03-27 09:50
うわっ、きたきたきた!
6171007b anonymous 2010-03-27 09:55
時間を超越出来ても還虚合道は不可能という気がするが・・・。

時間の超越くらいなら、宇宙人とかがやってることなのでは?
22c8a05f old timer i1b5ibip3kS 2010-03-27 10:08
>>6171007b

そうかもしれない。

時間の超越なんて主題は、今の俺の現実からはとてつもなくかけ離れたことなの
で、わからないことが多い。
a68be0bd anonymous 2010-03-27 16:17
>>22c8a05f

この道においては、何故か「自分ができることしか知らない」といった立場に
謙虚に留まる人の発言が少ないので、上記のコメントには非常に好感を持ちました。

オールドタイマーさんほどの方であれば、どこかからの情報の提示にせよ、
公理からの推論にせよ、個人的なコグからであれ、語れることは沢山あるはずだからね。
777ec00a old timer i1b5ibip3kS 2010-03-27 17:15
>>a68be0bd

まぁ、 >>76309848 からの流れが本当に難しい話なのだ。

時間を超越している状態そのものを説明することは、時間を超越していない俺に
は不可能だ。代わりに俺がやっているのは、時間を超越していない状態のいくつ
かの側面を否定することくらいだ。

"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
る"なのだ。

現実の俺のパワーとケースレベルでは、水に浮かべたごくごく軽い物体を動かせ
ることがある程度だ。残念なことに、これもいつでもできることじゃない。軽い
ものしか動かせないのはパワー不足で裏NOTsがまだまだ足りないことを意味して
いるし、不安定なのはケースレベルが低すぎることを意味している。

教会でも自由領域でも一般にこれを認める人は少ないのだが、"コグ"は多く、躍
進はほとんど起こらない。宇宙の真理めいたことを語りながら、生活修復オーデ
ィティングが時々必要になるという人が結構いる。つまり、"コグ"だけが空回り
している。

この種の"コグ"って、たいてい、菜園本のいい回しを変えただけだ。入門者や初
心者がそういうコグをいえば大したものだが、菜園歴10年以上がそれをいうと、
なんだか痛々しくて同情を禁じ得ない。

とはいっても、"物質宇宙の底辺からやっていく必要があることが分かった"みた
いな素晴らしい本物のコグが語られることもある。これは、"神は死んだ"のニー
チェとか、宗教を"人民の阿片である"としたマルクスに独力で追いついてみせた
んだから、実に素晴らしい。(念のためにいっておくと、マルクスは"神が人類お
よび人間自身を最高たらしめる普遍的な目的をあたえたのであるが、神はこの目
的を達成しうるための手段をさがしもとめることを人間自身にゆだねた"とも語
っていて、宗教を批判したが、信仰やスピリチュアルなものを捨てていない。)

閉塞感はあるものの、自由領域は前進を続けている。
a385c69a anonymous 2010-03-27 17:46
>>777ec00a

うぅ~ん「"ある時点からいることになっている"の否定が、
"最初からいなかったことになる"なのだ。」

これはスゴイ!
a3eb02e1 anonymous 2010-03-28 01:06
すいません、2ちゃんねるのスレはもう使わないのですか?

いちいちチェックするのがめんどくさいので・・・すいません。
bbd35a36 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 08:01
>>a3eb02e1

2chのほうに質問などの書き込みがあれば、応答する。
48a3f1ac anonymous 2010-03-28 10:34
>"ある時点からいることになっている"の否定が、"最初からいなかったことにな
>る"なのだ。

これって、還虚合道などの、所謂「到達する境地」ではなく、今、すでにそうなんじゃないでしょうか?

そもそも、ある時点からいることになっているってこと自体がすでに幻想というか。
そういった仏教だとかスピリチュアルだとかの教えって多いですよね。

そう考えると、やはりこの宇宙から存在の痕跡ごと消えるということは達成不可能という気がします。
もし自分の宇宙から存在が消えるなら、自分だけでなく周りの宇宙も消えないとおかしいのではないでしょうか。

あと、解脱より還虚合道のほうが遥かに上というのにも疑問を感じます。
そもそも、同一直線上にある境地なのかなと。
a132c1bc old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 11:16
アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、"ある時点からいることになってい
るってこと自体がすでに幻想"ということになる。

そして、アクチュアリティー層の言葉で表現すれば、宇宙も既に幻想ということ
になる。

そういうことは仏教でも、菜園でも、入門段階で教えられる。しかし、そう教え
られても、幻想 ― リアリティー層でいえば、現実 ― が即座に解決されるので
はないから、プロセシング ― 出家とか、修行とか、オーディティングとか ―
が必要になる。

つまり、プロセシングについて語り始めた時点で、アクチュアリティー層ではな
くリアリティー層の話になる。
07a2e536 anonymous 2010-03-28 22:27
では、リアリティー層からアクチュアリー層に移行するのは、どの段階からになりますか?
b1060de7 anonymous 2010-03-28 23:16
>>07a2e536

プロセシングが不要になれば、リアリティー層を卒業することになるだろう。

あらゆる条件において、解決されるチャージのほうが、発生するチャージより多
くなれば、プロセシングの必要はなくなる。
811cccb4 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-28 23:17
トリップをつけ忘れた。

>>b1060de7 を書いたのは俺だ。
39b80a13 anonymous 2010-03-28 23:47
最近、慈悲の瞑想を毎日やっているのですが、時間があれば一日に何度も繰り返してた方が効果が出るのでしょうか?
それとも、決まった回数だけをやるだけでも十分でしょうか?
それから、嫌いな人々、自分を嫌っている人々を思い浮かべる時に、特定の誰かを思い浮かべた方がいいのか、それともそういう感情にいたる不特定の誰か(自分と直接の関係はないけれど、関われば嫌いになるような遠い存在の人やそういう感情そのもの)を思い浮かべた方がいいのでしょうか?
特定の誰かにしてしまうと、それが過去の人だったり、この人のこういう所は嫌いだけれども、その人自信を否定する気にはなれないと思ってしまうのであまりピンときません。
不特定の誰かでやってみた時は、単一の出来事の処理のようなチャージが消去されるような感じがする時がありました。
87b24f09 anonymous 2010-03-28 23:56
>>39b80a13
の訂正ですが、一日に何度も繰り返すではなく、一回に何度も繰り返した方がの間違いです。
41ddb763 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-29 00:02
>>39b80a13

決まった回数だけやることを進める。慈悲の瞑想はメタプロセスだが、一時的な
オーバーランが生じることもあるだろう。

菜園では、特定の人物をそのまま扱うよりも、一般化された形で扱ったほうが良
いとされている。例えば、「俺の父親」「クーパー氏の父親」よりも、「ある父
親」のほうが良い。「俺の父親」「クーパー氏の父親」では、処理対象となる範
囲を小さくし過ぎていて、ケースレベルが上がれば無意味になる。

同じことが慈悲の瞑想に当てはまるかもしれない。
8ab55ea6 anonymous 2010-03-29 00:58
2chのスレ使えよ。
俺のHDDを使うんじゃない。
a1665765 anonymous 2010-03-29 12:11
>>41ddb763
オーバーランになる場合は、なったとわかるのはどういう心的状態になるのでしょうか?
4e4cc444 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-29 12:46
>>a1665765

気分としては、嫌になる、飽きる、うんざりする、といったことが起こる。アイ
テム処理のEPまたはプロセスのFPやEPを突き止めることで状態を解決できれば、
オーバーランがあったことが確定する。

FPやEPを突き止めることができない場合、アイテム処理やプロセスはオーバーラ
ンされていない。その気分の原因はケースの再刺激またはアウトルードメントな
ので、プロセスを継続したり、ルードメント処理を行って状態を解決する。
68d63e15 anonymous 2010-03-30 10:00
慈悲の瞑想で思いだしたのですが、以前話題に上がったチベット密教版慈悲の瞑想、トンレンについてです。

トンレンは相手の悪い気を吸い込んでしまい、本当に自分の調子が悪くなってしまう危険性があるとのことでしたが、
調べてみると、トンレンで調子が悪くなったという例はないという話です(気功とは違うのかな?)。

というより、むしろトンレンの主眼は、「本当に病気にはなったらどうしよう」とか、
「相手の悪い気を受けたくない」といった思いを乗り越えることにあるようです。

「人の苦しみを自分が代わりに引き受ける」という思いを養うわけですから、
自分の調子が悪くなることを恐れていたら、それは自分の利益のためにやっている瞑想であって、
慈悲の瞑想でもなんでもないということになります。

原始仏教の慈悲の瞑想も、本来は何かを獲得するために行うものでなく、
ただ単純に慈悲の心を養うために行うものなんじゃないかって思いましたね。

しかし、トンレンは菜園でいうところの逆NOTsにあたるという話は興味深かったです。
この辺りを詳しく説明して頂けないでしょうか。

4fd1377c old timer i1b5ibip3kS 2010-03-30 12:39
>>68d63e15

その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。

Scientology-Freezoneについて 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243780138/592

` トンレンで吸い込まれたBTが、一般的なPCにおいて、必ず解放されるかどうか
` はわからない。

` トンレンを生んで800年にもなるチベット仏教は、権力の座にありながら、農
` 奴を解放できなかった。チベットの数多くの僧侶と貴族に、慈悲深い精神性は
` 育たなかった。Stuart GelderとRoma Gelderが書き、1964年に出版された
` 『The Timely Rain: Travels in New Tibet』によれば、チベットの僧侶は、羊
` を2頭盗んだ農奴の目をくりぬき、手をつぶしたのだとか。中華人民共和国成
` 立より前の1929年に出版された、Anna Louise Strongの『Tibetan Interviews』
` でも、チベット僧侶の残酷さを伝える証言が多数掲載されている。

欧米人の手によって書かれ、チベット僧侶たちの残酷さを伝えている書物は30冊
くらいある。農奴の存在したことについてはダライ自身が«Freedom in Exile»で
肯定している。また、イタリアのメガチップスのサビーナ·モランディーは、僧
侶たちに対するチベット人民の憎しみが、アメリカCIAによるチベット独立工作
を阻んだことを指摘している。

NOTsと裏NOTsは他人の断片を他人に返し、自分の断片を再回収する。他人の断片
を吸い込むことは、NOTsの効果に逆抗する。

トンレンの効果には疑問の余地が大きく、しかも、他人の断片を吸い込むという
点で、NOTs系の基本原則に反している。

一方、慈悲の瞑想ではフローバランスも考慮されていて、菜園の基本原則に反し
ない。

保守的な菜園人にとって、トンレンの実践に踏み切る理由はない。
db4c42ff anonymous 2010-03-30 22:53
隔離タグwww
24cd601f anonymous 2010-03-31 10:14
他人の断片を吸い込む・・・というのはよくわかりませんが・・・。

>その"慈悲の心"がトンレンの長期に渡る実践で養われていないことが、トンレン
>の効果について俺が疑問を持っている理由の1つだ。

これには疑問を感じます。
私もたまにトンレンを行いますが、トランスパーソナル心理学で有名なケン・ウィルバーも言っているように、
これは人を劇的に変容させる力を持ったプロセスだと思います。
嫌いな人に対して行うと、その人に対する否定的な感情が和らぎます。

>>4fd1377cで挙げられたチベットの僧侶達の現状に関してですが、
これはトンレンなどのチベット仏教の行法が効果がないからではなく、
それらをちゃんと実践していないからだとは言えないでしょうか?
チベット密教の本などを読んでみても、教え自体が間違っているとは思えません。

それにそれを言うなら、昔の日本の僧侶だって、仏の教えを実践しているはずが、
僧兵になったり破戒僧になったり、とても仏教を学んでいるとは思えない行動をしていました。
しかしだからと言って、日本の仏教の行法自体が効果がないものだとは言えないでしょう。
また、キリスト教などもそうで、隣人への愛を説いているのに、キリスト教国であるアメリカは戦争ばかりしています。
しかし、これもまた、キリスト教の教え自体が間違っているからとは言えないと思います。

結局、理由は、ちゃんと実践してないからだ、ということにならないでしょうか?
93c03f06 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 12:23
>>24cd601f

そなたがトンレンを行って得た結果を否定するつもりはない。しかし、プロセス
を実践に取り入れるかどうかを判断する際に、個人が得たコグは、保守的な菜園
人にとって判断材料として重要視されるものではない。その個人がそなたであれ、
ケン·ウィルバーであれ、菜園創始者であれ、保守的な菜園人の態度に変わりは
ない。実際、幅度がXenu挿話を菜園に持ち込んだ時に、多くの保守的な菜園人は
教会を去った。

他の体系のプロセスを取り入れるかどうかにまず考慮すべきことは、それが菜園
の基本原理に沿うものかどうかということだ。次の考慮すべきことは、それが広
範な実践においてはっきりとした効果を上げているかどうかだ。

トンレンは菜園の基本原理に沿っていない。既にこの時点で、保守的な菜園人に
とって、トンレンを実践に取り入れる動機はほとんど生じない。しかし、ここで
菜園の基本原則のほうが不完全である可能性も、もちろん、残っている。

そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
ことになる。仮にトンレンが実践されていなかったとしたら、そもそも、広範な
実践そのものが存在しなかったことになる。
51be0156 anonymous 2010-03-31 12:53
私はトンレンを菜園の行体系に取り入れろと言ってるわけではありません。

トンレンを実践は、自分が本当に調子が悪くなる危険性があると、オールドタイマーさん自身がおっしゃっていたので、
自分の実践経験や、ケン・ウィルバーなどの見解から、どうやらその危険性はないようだと、
そして、自分が他人からの悪い影響を受けたくないというエゴを超克することこそが
トンレンという行法の真の目的でもあるということを書き込んだまでです。

しかし、私はトンレンの効果がどうこう言うこと自体がナンセンスな気もしています。
そもそも、他人の苦しみを自分が引き受けようと思うこと自体がすでに慈悲だからです。

慈悲の瞑想に限らず、自分に何らかの効果を期待して行うのが目的なのであれば、
それは慈悲とは言えないのではないでしょうか。

自分の片割れを回収するためだとか、パワーの回復、能力の獲得などを目指して行う瞑想なのであれば、
それは慈悲の瞑想であろうと、トンレンであろうと、本来の目的であろうはずがないし、
エゴのレベルを超えるのは永遠に不可能ではないかと私は思います。
53684608 anonymous 2010-03-31 14:10
>そこで、今度は広範な実践での効果も検討することになる。トンレンを生んだチ
>ベット仏教の歴史は残酷物語に満ちている。トンレンの実践があったにもかかわ
>らず、そのような惨状が生じたのであれば、トンレンの効果は意図とは逆に出た
>ことになる。

では、実践されていたのがトンレンではなく、慈悲の瞑想だったら、チベット仏教史は
平和に満ち満ちていたのでしょうか?

私は大差なかったように思うのですが・・・。
そもそも、慈悲の瞑想とトンレンの違いというのは、
トンレンには他者の苦しみ(のイメージ)を吸い込むという部分がプラスされている
というところですよね?

この違いだけで、慈悲の瞑想はすばらしい行法で、トンレンのほうは効果に疑問があり、
意図と逆の結果が出たと結論付けるのはどうかと・・・。

「他者の苦しみを自分の苦しみとする」というのは、あえて効果というものを挙げるなら、
本来個人というものは存在しない、ということに気づくことだと思います。
「大きな自己」にとっては自分も他者もない。
他人の幸せは自分の幸せで、他人の苦しみは自分の苦しみ。
少なくともこういった感覚を持つようにはなると思います。

ですから、チベット仏教史を見ただけで、効果に疑問を持つというのは少し勿体無い気がしますね。
菜園スタッフを見て、オーディティングの効果は疑問があると言うようなものでは?
本当に効果があったら、あんな組織にはなってないはずだ、教会の歴史を見ればわかる、
と言うようなものかと。
c988e92f old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 14:42
>>51be0156

裏NOTsで自分自身の断片を回収することで能力を回復するという行為は、同時に、
その断片によって阻害されていた他者の能力を解放するという行為でもある。

他人に対する慈悲もあるし、自分自身に対する慈悲もあるだろう。特に、原始仏
教の慈悲の瞑想は、"私は幸せでありますように"から始まっている。
f9e6b9f5 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 14:52
利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。

人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。

イスラム教を創始したムハンマドは、盗人が反省すればアッラーはお赦しになる、
と説くことで、キリスト教に由来する残酷な刑罰を抑制させなければならなかっ
た。ムハンマドは用心深かったため、"アッラーは何度でもお赦しになる"と付け
加えた。しかし、イスラム教がその社会の公共領域から残酷さを取り除くことは
難しかった。今でも難しい。

ある程度の利他的志向性に加えて、利己と同形個人の概念がなければ、人道や人
権は確立されない。

原始仏教は慈悲の瞑想によって最初からその域に達していた。古の知恵でありな
がら、慈悲の瞑想は近現代を包含している。
d988ecb3 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 15:35
>>53684608

慈悲の瞑想は"私は幸せでありますように"から始まり、実践者に利己的な動機を
自覚させる。だから、慈悲の瞑想は実践者を謙虚にする。

利己的な動機の自覚がない宗教実践者に遭遇したことはないか?

"あなたのために少しの時間お祈りさせてください"みたいなノリの人が、1990年
代の東京にはゴロゴロいた。
46004ecf anonymous 2010-03-31 15:38

議論の方向とは違うのだけど。。。

トンレンに触発されてハリーが開発した技法に<深刻ドリル>がある。
これはひどく落ち込んでる人や怒ってる人などに対し、
コーチがその創造(相手の苦悩)と創造者(苦悩している相手)を
とともに可能な限り価値判断しないで味わい愛でるというものだ。
これらは密かに沈黙の中で行われるのだが、効果は抜群だ。

他者の創造を味わうコツは、息を深く吸い込むゆったりとした腹式呼吸が役に立つ。
トンレンのように苦悩そのものを吸い込むのでなしに、それを一つの芸術作品のように
落ち着いて感じてみるのだ。慈悲の瞑想やフィールイッツに長けてる人なら、
よりいっそうの効果(調和的に働くタオの自然な矯正力のごときもの)が期待できる。
これは人相手でなくとも動物、植物、天候、渋滞などにも適用かのうなので重宝する。

価値判断しない思いやり(慈悲)が他者に対し確実に影響を及ぼすことが
本当に良くわかる。

この方法であれば、精神の断片を吸い込むこともないだろう。

トンレンに少々不安があり、けれどもそれを捨てがたい人にはお勧めの一品である。
試してみてはいかがだろう。
3a03f7ac anonymous 2010-03-31 15:41
>>d988ecb3

トンレンも「病気が治る!」ってことで庶民にも広がっていったよね。
そういう意味では、利己的動機を自ら認識して、そこからはじめるのはいいことだよね。
644fd0ec anonymous 2010-03-31 18:24
>>46004ecf
参考になります。ありがとう!

トンレンは私にとっては目から鱗でしたね。
初めはオールドタイマーさんの言うように、自分自身が他者の苦悩の影響を受けてしまったら
どうしようという恐怖心から敬遠していました。

しかしケン・ウィルバーによると、それは誰もが思うことで、彼自身も最初はそれが理由でトンレンを行わずにいたようです。

ですが、「その苦しみを自分が代わりに・・・」と思った途端、
ネガティブな影響は消えてしまうんです。不思議なことに。
アバターで「価値判断せずに味わい愛でる」ことで創造が消えるというのと似たような原理かもしれませんが。

ウィルバー自身もトンレンの不思議さには驚いているようですね。

自分にとって驚きだったのは、これまで嫌いだった人達が、トンレンの実践によって一気に嫌いではなくなったことですね。
正に変容といった経験でした。

まあ、私個人の経験ですし、もしかしたら万人向けの行法ではないのかもしれませんが。
私はもともと対人恐怖の症状があったのですが、トンレンでほぼ完璧に消失しました。

いろんなセラピーや宗教的な実践を試しましたが、大きな効果があったのはトンレンだけでした。
もちろん菜園のオーディティングも試しましたよ。
菜園で解消したければNEDまで行くしかないとまで言われました。

私が至った結論ですが、慈悲と恐怖(あるいは憎しみ)は両立できないってことです。
人に慈悲の心を持てた時は、そこに恐怖や憎しみは存在しません。
その恐怖自体が、敵意の抑圧だったりするわけですが、それがトンレンによって一掃されます。

あくまで個人的なものですが、私はこういった体験をしていますんで、
効果に疑問があるとか、チベット仏教史の話を聞いても、逆に疑問を感じてしまうわけです。
361be6c9 anonymous 2010-03-31 18:52
>>f9e6b9f5
>利他一辺倒だと、宗教は大きな問題を生む。キリスト教はもともと利他的すぎる
>ところがあったため、中世の約1000年に渡って、教会は抑圧的な存在になった。
>利他的すぎる教えは、利己的な個人に対する批判や弾圧につながってしまうのだ。

>人の物を盗むようであれば、その手を切り落としなさい、という旨の教えがキリ
>スト教にはある。これは確かに利己的な行為に対する戒めなのだが、結局、これ
>は残酷な刑罰を正当化するのに用いられた。

利他一辺倒どころか、もともと利他とは言えないのでは?
キリストの隣人を愛しなさいという教えにも反してますし。

利他的すぎたのではなく、本当は利他ではなかったというのが問題だったというような気も・・・。

2abdc3bb old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 20:01
>>361be6c9

俺の説明が足りなかったようだ。

宗教の教義と実践が利他的であるほど、聖職者組織は利己的になり、組織の頂点
に絶対的権威が出現しやすくなる。
f6bfbc8e anonymous 2010-03-31 20:13
>>db4c42ff
お前うるさいよ。
だまってろ。

「隔離」の意味を理解してないのか?
28a5c252 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 22:50
調べてみたところ、ウィルバーは"Compassionate Exchange"という名称のプロセ
スを編み出している。"Exchange"という単語が示すように、"Compassionate
Exchange"はトンレンにNOTs的な要素を加え、フローバランスを改善したものだ。

おそらく、ウィルバーもトンレンの限界または危険性に気が付いたのだろう。
4cc8a796 old timer i1b5ibip3kS 2010-03-31 23:15
話は変わるが、大姉公理と人々の人生についての観察から、幸運についての仮説
を立ててみた。

1) 幸運は分析する者よりも、行動する者を好んでいる。

2) 幸運は流れに逆らう者よりも、流れに沿う者を好んでいる。

3) 幸運は気まぐれな者よりも、一途な者を好んでいる。

4) 幸運は気が短い者よりも、気が長いものを好んでいる。

5) 幸運は1回しか口説かない者よりも、2回から3回ほど口説く者を好んでいるが、
短期間に4回も口説かれると、急に怒り出すことがある。

6) 幸運は数少ない大きな試行よりも、数多くの小さな試行を好んでいる。

7) 幸運は理屈よりも、愛着を好んでいる。
7b1641ac anonymous 2010-04-01 01:48
>>28a5c252

ウィルバーの"Compassionate Exchange"という名称のプロセス、興味あるなぁ。

オールドタイマーさん、教えてくれませんか?
9caa1063 anonymous 2010-04-01 02:06
初心者の横槍失礼しますが、菜園はトランスパーソナル心理学とも絡んでくるのですか。

ちなみに自分も色々セラピーなどを試し、アバターのマスターコースまでで、かなりの効果を上げました。
菜園やトンレンなどは未経験です。

精神医療や、プロセス指向心理学ではえらいトラウマになりましたが、アバターでほぼ解消しました。


1ac62bc7 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-01 07:46
>>7b1641ac

俺が見つけたのは

«Compassionate Exchangeはトンレンだった!»
http://blog.zaq.ne.jp/nagamasa/article/112/

というブログ記事だが、読んでみると、トンレンには存在しない実践者自身を対
象としたステップが存在する:

` 5. それから、すべての生きとし生ける存在の中の一つの存在、あなた自身
` に焦点を当てます。あなた自身の苦しみと嘆きを取り込み、自由と解放のエッ
` センスを、それをあなた自身に向けて、息を吐きます。この自由な視点から呼
` 吸し、感じ、そして自然に抱擁し、あなたの活力と人間性が本当であることを
` 認めましょう。

` 6. Compassionate Exchangeの実践の最後のステップとして・・・あなたとあな
` たが描いたすべての人々、そしてすべての苦しみと、苦しみからの解放が、こ
` れのすべてを目撃している気づきの意識の中に生起しているということ、そし
` てこれが、本当のあなたなのだということに、気づきましょう。

トンレンに欠けていたフローバランスが、Compassionate Exchangeでは回復され、
全体として原始仏教の慈悲の瞑想に近いものになっている。
a3613b56 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-01 08:06
>>9caa1063

菜園は1950年代に始まり、トランスパーソナル心理学は1960年代に始まった。

平凡な自分を超え、想像性の獲得や自己実現を目指した人間性心理学の延長線上
に、個人としての自分を超えようとするトランスパーソナル心理学があるとする
ならば、菜園と人間性心理学双方から、トランスパーソナル心理学への影響はあ
ったかもしれない。ウィルバーの本には菜園用語とそっくりな用語が、ちょっと
異なる定義でたくさん出てくる。例えば、isnessとIs-nessがある。
030da816 anonymous 2010-04-01 09:48
>>1ac62bc7
私が読んだチベット密教の本にも、似たような技法は載っていました。
自分の苦しみを今の自分が引き受ける、という行法です。
ですから、ウィルバーがトンレンの欠点に気づいて改良を加えた、というわけではないような気もしますが・・・。

チベット密教においても、改良や進化が行なわれていったのかもしれませんし、
そもそもウィルバーはトンレン大絶賛って感じでしたからね。
ウィルバーの思想にはマッチした行法という気がします。
0971ddd7 anonymous 2010-04-01 10:07
ケン・ウィルバーに関して付け加えると、彼はおそらく菜園理論には否定的だと思われます。
禅の影響が強いためか、彼こそ正に、悟りを目指す修行は無駄だと主張しています。
悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っているものを手に入れることはできないと。

だから悟りを目指す修行というものは全て無駄に終わると言っています。
悟りというものは「高次の意識状態」でもなければ、何かすごい特別な体験、覚醒があるわけでもない。
究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。
それは求めても獲得することはできないどころか、離れることすらできないと言っています。
悟りを求めるというのは、足があるのに足を探してるようなものだと。

ですからおそらく、ウィルバーは菜園のブリッジは否定するでしょうね。
ブリッジを上がっていって、究極の悟りに到達する、といったこと自体有り得ないことだと。
そもそも、菜園人が思い描いている、究極の悟りなど存在しないってところではないでしょうか。
f1a5f429 anonymous 2010-04-01 11:10
>>a3613b56
人間性心理学の拠点校のひとつにいたことがあるので、そのころ少しだけかじりましたが、
菜園をつい最近知り、成立が1950年代であったことから、ニューエイジなどの起こるまえのものであることに驚きました。
と、同時に、これがアメリカの精神世界の古典に相当するのではないかと思うようになりました。

事実、アバターはじめ、様々な自己啓発セミナーなども菜園から出てきたと聞きます。
来談者中心療法などの心理療法も戦争のトラウマ援助のために発達したと聞きますし、
アメリカという舞台における、心理的宗教的研究の発展の過程で、
初期から存在する菜園が、その他のものに影響や関係があるのは当然なのではないか、と推測しているところです。

各所で最近よくみるようになった、A・マズローの欲求階層論と菜園の8つのダイナミックは似ているように見えますが、
どっちが先なんでしょうね。いま調べたけど、時期が被りそうで分かりませんでした。
どちらが先後にしろ、アメリカがそういう空気にあったということだと思います。
56ecc41c old timer i1b5ibip3kS 2010-04-01 11:53
>>030da816

チベット仏教徒がトンレンを改良した可能性もある。

いずれにせよ、古いトンレンを今のウィルバーが最適だと考えていないことは確
かだ。

初期大姉のフローバランスを改良して標準大姉や新時代大姉が出来たように、ト
ンレンのフローバランスを改良して、利己的要素を含む新しいトンレンや
Compassionate Exchangeが出来たといえる。

>>0971ddd7

"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
る。

しかし、このような修行不要論は、そもそも、仏教徒が入門時に教わることであ
り、菜園アクチュアリティー層そのものでもある。

>>f1a5f429

人間性心理学と菜園は同時期に誕生した異母兄弟のようなものだと思われる。異
常な人を正常に近づけていくそれまでの心理療法に対して、正常な人をそれより
優れた状態に導こうとする人間性心理学が登場したのも1950年代だ。

ただし、菜園は能力心理学とフロイト派精神分析に加えて、原始仏教をも取り込
んだという点で、トランスパーソナルな要素を含んでいた。
f962fa9e anonymous 2010-04-01 14:34
>"悟りというのは今、この状態のことを言うのであって、もうすでに持っている
>ものを手に入れることはできない"のであれば、トンレンも、ウィルバー自身が
>考案したILPも無駄ということになる。さらにいえば、禅も不要ということにな
>る。

それが悟りを得るために行われるものならば、そういうことだと思います。
ですから、トンレンは慈悲の心を養うのには有効かもしれませんが、
トンレンを実践したことによって、未来の時点において悟りに到達する、というものではないということでしょう。
従って、トンレンの存在そのものが無用ということではないと思います。
悟りの手段として行っても無駄であるということであって。

これは禅でも散々言われていることであって、坐禅を組んだ結果、悟りという状態を経験する、というものではないそうです。
「石を磨いても鏡にはならない」という言葉は有名ですよね?
それならなぜ坐禅を組むのかというと、そのことに気づくためではないでしょうか?
私は坐禅は経験したことないのでなんとも言えませんが・・・。
ケン・ウィルバーは1日3時間の坐禅を欠かさなかったそうです。
坐ってみて初めてわかる理解ではないでしょうか?
fa0dab21 anonymous 2010-04-01 15:03
アバターコースで言えば、アバターマスター達が「早く悟れる」とか、「悟りのドリルだ」などと言いながら、
毎年ウィザードコースを受け続けているようですが、
そういった禅やケン・ウィルバーの観点から言えば、
一生かけても悟りに到達することなどできないということになります。

コースを受けて、調子が良くなるかもしれませんし、ある種の神秘体験を味わうことに
なるかもしれませんが、悟りという体験をすることはできないということでしょう。

ある意味、悟りを目指して修行を続けていること自体が、悟りの一表現なのかもしれませんね。
今、そのままが悟りの状態であるならば。
b75c1897 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-01 17:35
>>f962fa9e

悟りにつながらない技術を無用でないとするならば、トンレンも、
Compassionate Exchangeも、禅の修行も無用ではなくなり、同じ理屈で、ウィル
バーが菜園の橋を悟りにつながらないと評価したとしても、橋そのものは無用で
はないことになる。

技術体系の中身の評価は分かれるにせよ、体系を支えている技術論において、幅
度とウィルバーはほぼ同じだろう。アクチュアルなことをいえば、技術など不要
なはずだが、そのアクチュアルなことを説いても、人々の日常ががすぐさま改善
されるのではない。幅度は橋という技術体系を作り、ウィルバーはILPという技
術体系を作った。
8b1eb164 anonymous 2010-04-01 21:32
>>0971ddd7

>「究極の悟りとは今の意識状態のことを言うのであると。」

「悟り」という単語の意味が人によって違うでしょ?
そもそも「今の意識状態」に気づいてる人は少ない。(ちなみに意識状態は如何なるものでも「悟り」ではない、と思うのだが。何故なら<意識>とは限定された一つの創造物だからね)
まあ、それは置いておくとして、それにいかに「気づく」のか、そしてそこに留まり続けるのか、等がマハルシの「私は誰か?」という探究や禅のやってることの眼目だろう。

ちなみに、ある想念や問題を抱えてるとき、「それを体験してるのは誰?」と問いかけ、
いったん「私」と確認しながら答えてみる。その後に、いまここで、記憶(やイメージや想念や感覚)を頼らずに、その「私」を見つけられますか?と問いながら実際に内面を観察させる。
それを行ってみれば、「私」は見つけられないという自明のことがよく分かる。
それを発見したなら、「この経験を超えた境地に留まれますか?」と問いかけ、そこに留まる決心をする。次に想念が浮上してきたなら、同じプロセスを繰り返す。
ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。
58510714 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-01 22:03
>>8b1eb164

読んでいたら、菜園のC/S-1を思い出した。PCに心象映像を見てもらい、オーデ
ィターが"それを見ているのは誰ですか?"と問うステップがある。もちろん、狙
いは、"セイタン"(= "私")の意味をPCに理解してもらうことだ。

個人の本質は不可視だ。なにしろ、位置属性がないんだから。
1b9ba395 anonymous 2010-04-01 22:20
確かにウィルバーも、マハルシの自己探求はよく例に挙げていたね。
c3099b9c anonymous [sage] 2010-04-01 22:58
>>4cc8a796

これ、すごく良いですね!今やってるテレアポの仕事にぴったりです!
適用したら効果ありましたよ!座右の銘にさせて下さい!
e477e540 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-02 12:14
>>c3099b9c

フィードバックに感謝を。

大姉公理は、秩序、混沌、無秩序を区別して扱っているという点で、混沌学
(chaology)の原形を含んでいる。大姉公理はなぜだかあまり語られることがない
が、大姉公理を発展させれば、広範なゲームを対象とした新型倫理状態公式が作
れるような気がしている。
7d62a2fb anonymous 2010-04-02 12:29
初心者の横槍。

心理相談室で父親と対面してひとしきり色々言ったところ、
「まさに自分が親に向けて言った言葉そのものだ・・」と父が言っていたのにはおどろきました。

家族的無意識というものを説く、ソンディの衝動病理学(運命分析)にこういうことが説かれているらしいです・・・
あと、又吉正治という人の書いた、沖縄の霊能者ユタと精神分析の混合『まぶい分析学』にもこういう家系の力動関係というか、
連鎖について研究しているようです。ダイアネではエングラムでこれを解き明かしているそうですね。
あと、人生連続体というのもこれについてのことのようですね。

通常知られている心理学、ならびに精神医学に、明確な理論はあるのでしょうか。
どなたかご存知ないでしょうか。自分は心理学専修中退なもので、正式な学問を知らず、
興味本位に色々集めた結果、上記に、異端の中で二、三それらしきものを見つけましたが。

ますます、ダイアネはじめ、菜園の技術に関心が深まります。
663e8c8f anonymous 2010-04-02 12:32
家族療法の理論のなかに、上記にならぶような明解なものはあるのでしょうか。
ま、ここに心理の専門家がいるのか分かりませんが、とりあえず、質問を投げてみます。
34d251d2 anonymous 2010-04-02 14:20
>>663e8c8f

家族力動を扱った理論はたくさんあるけど、実践面で目を見張るものと言えば
ファミリー・コンストラクションだ。その実践は神秘的な事象に充ちている。
親と子が世代を隔て「同じ表現」をすることはエングラムで説明可能だ。
しかし、FCではセラピー・ワークショップに集まった赤の他人が
同様の現象以外にも病気の症状などを起こすことがある。
セラピストの力量によるが、テレパシー現象が頻繁に起こる。
クライエントの家族の精神内構造を外在化させ、目に見えるポジションに配置することによって、
個人個人の精神がリンクしはじめるようだ。
b2bf97f9 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-02 16:44
>>7d62a2fb

現在の菜園において、家族内の心性の類似は、大姉ではなく、ヴェイランス(借
用人格)で説明されている。
d95b8884 anonymous 2010-04-02 22:39
>>8b1eb164
>ケンちゃんが言ってるという「今の意識状態」とはこれのことだ。

いえ、>>0971ddd7で使った「今の意識状態」は、ラマナの言う「私-私」のことではなくて、
まんま我々の通常の意識状態って意味です。

我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。

ラメッシの言う「神の意志以外のことは決して起こらない」という教えと似たような印象を受けましたが・・・。

結局、このままが悟りなのであれば、変えなくちゃいけないことなど何もない。
自己開発をする必要も全くない。
私にはそういった意味に感じられました。

ですから、トンレンや禅も必要ないではないか、と言われれば、確かにその通りなんでしょうね。
自然に生きている人には、あえて慈悲の心を養ったり坐禅を組んだりする必要もないんでしょう。
1e1c4f44 anonymous 2010-04-02 23:55
>>d95b8884

>「我々の通常の意識状態、あるいは、いつ、いかなる時に持つ意識状態も、
究極の意識状態に他ならないと言ってます。」

ケンちゃんの言う「究極」はまさに「究極」だ!
e73a1e55 anonymous 2010-04-03 00:42
夢について、お訪ねしたいことがあります。
夢を見ている間は、体が幽体離脱していると言う話を聞いたことがあるのですが、先日とある夢を見ました。
それは、自分が尊敬している、ビジネスで凄い大成功している方と会ったのです。
その人は実際には会ったことがなく、セミナー等で遠くから見ているだけの存在でした。
夢の中でパワーをもらったと言うか、無償の愛を受け取った感じがして、それは起きた後もずっと続いてて状態が良くなった感じがして、不思議な感じでした。

もしかしたら、夢の中で本当にその方の魂にアクセスすることができたのではないかと思ったのですが、そういうことは実際にありえるのでしょうか?
f934ca4c anonymous 2010-04-03 02:01
>>34d251d2
ファミリーコンストラクション、初耳です。だれが開発したどういうものなんでしょう。
検索しても見つかりませんでした。
この中の、どれかの学派ですか、それとも全くの別物ですか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E7%99%82%E6%B3%95

エングラムも、学び出したばかりで、まだはっきりとは掴みきれてません。
世間では疑似科学として叩かれてるようですが、菜園は一個の独自な体系で、
心理部門でも心理学に太刀打ちできるレベルの体系を備えているのではないか?
というのが今の推測なんですが。太刀打ちというか、超えるというか。
アバターで劇的な効果を体験した以上、菜園もそうだと思います。今まで見たところでも。
ブックワンですでに相当悟るところ多数です。
24231f8e anonymous 2010-04-03 02:11
>>b2bf97f9
心性の類似という、相似形のレベルではなく、今回のは「まさにその言葉!」ということが
繰り返されていたようなので、劇的だなぁと思いました。
エングラムのビデオでこういうのを見たような気がします。
ベイランスは確かに借用人格的な説明でしたよね。だとすると、完全に同じセリフの
繰り返しというよりは、似たような性格というレベルのものでしょうか。
1faf1e36 old timer i1b5ibip3kS 2010-04-03 07:15
>>e73a1e55

夢でテレパシーが発揮されることはある。しかし、菜園では夢を扱わない。現在
の菜園では、PCがしらふの状態ですべての実践が行われる。

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