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c6fb736c Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-18 15:26
«大姉: 原理»: ❝Based on heuristic principles and specifically on the postulate that the mission of life is survival and that the survival is in several lines rather than merely one, Dianetics contains several basic axioms which seem to approximate natural laws.❞

こういうところに、若いころの幅度の謙虚さが現れている。大姉の公理が絶対的ではなく、 "heuristic principles" つまり動的・発見的な原則に依拠することを認めているのだ。大姉のその後の進歩にこのこと重要な意味を持っていた。初期の大姉は初期胎児記憶に反応心の起源があるとしていたが、それは動的・発見的に覆され、前世への探求が始まった。
b90830ee anonymous 2023-01-19 00:08
>>9b280f1d

そもそも、LRHがいつどこで(誰のオーディティングによって)クリアーになったのかという公式の記録は存在するのだろうか?

もちろん、公式の記録や公報とて検証する必要はあるが、私はその手の記録やLRH自身または教会関係者による証言に触れたことがない。

仮に、LRHをクリアリングしたオーディターが存在するとして、そのオーディターは誰で、LRHをクリアリングした時点でのケースレベルはクリアーに到達していたのか、それともしていなかったのか?

あるいは、LRHは独自の(原始的な)ソロプロセスの試行によりクリアーになったのか?また、あるいは、ナチュラルクリアーだったのか?

ブックワン発刊の時点でLRHがクリアーでなかったとすると、LRHは自身がクリアーでもなく、LRH以外のクリアーも存在しない状態でクリアーを作る手引きとしてブックワンを世に広めたことになる。その場合、ブックワンの中に記載されているケースの実例は捏造されたものだったということになる。

※私自身は当時のクリアーの存在の有無に関わらず、ブックワンに記載されている夫婦間の相互オーディティングによるクリアリングの実例は、ほぼLRHによる捏造と見ている。ただし、これはダイアネティックスやサイエントロジー自体の体系が虚構であることやクリアーの状態が存在しないことを意味しない。
0a7ef9d2 anonymous 2023-01-19 00:15
>>b90830ee

ブックワン発刊時点も含めて、1,950年代のLRHは、外見的にはトーンレベルは確実にクリアーのレベルであるトーン4.0(の快活な振る舞い)に達しているように見える。もっと言えば、LRHのトーンレベルのピークは1,950年代である(それ以前の潜伏期は不明)。1,960年代以降、むしろ、外見的なトーンレベルは落ちていて、知的レベルこそ失われてはいないが、老化の影響を差し引いても、1,950年代の精彩さと快活さは消え失せている。もっとも、これは、より深くケースを掘ったと考えれば、不自然なことではないが。
d72eb8c5 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-20 10:23
>>b90830ee

幅度に本1クリアー聴聞を施した聴聞士が誰なのかは不明だし、幅度が本1クリアーになった時点も公開されていないが、教会では昔から幅度は本1大姉で戦争の後遺症から回復したとしている。 "世界最初のクリアー" 美案気が本1クリアーになった後、程なくして幅度も本1クリアーになったと考えても矛盾はないと思う。

1965年には幅度は "バンクを超越した" と言っているので、この年あるいはそれより少し前に菜園クリアーになったのだろう。 真久真寿太が "世界最初の真のクリアー" として発表されたのは1966年だから、真久真寿太が菜園クリアーになったのは1965年あるいはそれ以前で、真久真寿太に続いて菜園クリアーになった人々に幅度も含まれるのだろう。菜園クリアーはCCを経て達成されるので、幅度の聴聞士は幅度自身ということになる。

幅度がはっきりとクリアーになるのがここまで遅れてたのは、幅度は聴聞士及びケース監督として多数のPCに関わり、クリアーコグを聞くことが日常だったからだろう。実際に幅度がクリアーになった時点はもしかしたらずっと早かったのかもしれないが、幅度は自らのクリアーコグが本物かどうかを確認する手段がなかったはずだ。

--

例えば生徒2人が新時代大姉を学び、相互聴聞で大姉クリアーになることを目指す場合、まだ大姉クリアーではない聴聞士が大姉クリアーを高い確率で作り出すことになる。この場合、2番目にクリアーになるべき生徒は幅度と同じ悩みを抱える危険性があると言えるかもしれない。

CCのPCと聴聞士は同じ人物なので、菜園クリアーもまだ菜園クリアーになっていない人物によって作り出されることになる。CC経由のクリアーはクリアーコグではなくR6バンクと呼ばれるケース要素の処理を終えたことでクリアーとして認定される。
17ef1c11 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-20 10:46
幅度が "バンクを超越した" と言ってから、技術の規範化は急激に進んだ。

1966年6月26日、SHSBC434にて幅度曰く、❝Standard technology is contained in HCOBs. It actually isn’t contained in any of the books of Dianetics and Scientology. Did you ever realize that? Modern technology is not contained in any of the hardcover books, or any of the other books. It’s contained in HCOBs, Hubbard Communications Office Bulletins, and there they just run off one after the other.❞ … ❝They’re on white paper printed with red ink. If I haven’t signed it, it isn’t true. And that’s standard technology.❞

"規範的な技術" の運営上の扱いはSHSBCで再定義された。 "規範的な技術" はHCOBに書かれているもので、大姉本や菜園本にある技術は明確に "規範的な技術" から除外された。 論'sは教会と同じレベルに関して幅度のこの方針に従っている。 また、署名を確認することを幅度は求めている。 ゴム印ではダメなのだ。

しかし、HCOBが本物かどうかを確認するのは難しい。 結局、HCOB以外の音声資料、主にSHSBCの講演記録から菜園の基本原則と応用事例を広く学び、それぞれのHCOBの真偽を菜園についての知識を用いてそれぞれの菜園人が判断するしかないのだ。
8b7ddce0 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-20 10:51
幅度は "規範的な技術" を守るためにいろいろ工夫した。

海組織には海組織第1ラインと呼ばれた目安箱のような制度があった。 幅度に手紙を書けば、署名付きの返事をもらえたのだ。 しかし、1973年ごろに署名はゴム印を押したものになってしまい、幅度が返信したかどうかを確認することはできなくなった。

幅度はいくつもの技術動画を作成したが、それらの中で今も教会が使用しているものは1つもない。 論'sはこれを強く非難している。
82963af3 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-20 11:10
1971年まで、幅度は新しい技術を自ら主宰した集まりで発表している。 新OT IIIの時には、後に秘密扱いになる部分までべらべら喋っていたらしい。1971年までのHCOBはある程度信頼できるだろう。

1972年に幅度は10ヵ月ほど失踪し、その後は技術について自ら姿を現しての発表を行うことはなくなった。 かつて社交的でお節介な人物として知られていたが、失踪から帰還した幅度に会った 英知栄隆 (後にクラスXIIになり、自由領域にも技術面で大きな貢献をした) は、幅度を "内向的な人物" として記憶している。 幅度が誘拐され、洗脳されたという説や、容姿がそっくりな別人に入れ替えられたという説が今も流布する原因となった。

奇しくも、この頃は、アメリカ軍が資金を出していて、スタンフォード大学で進められていた遠隔視能力研究に3人の菜園人が参加していた時期でもある。風洞府が枢腕と風来雛を誘ったらしい。枢腕と風来雛は新OT IIIで、実験で非常に良好な成績を残したらしい。が、枢腕はその後菜園から離れていき、風来雛は突然の心臓発作で他界した。
92abc740 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-21 15:00
[Old Timer 随想2023.01.18] GPMのターミナルとオプタームのペアのそれぞれはグレードケースを構成している。 ペアをグレードで処理することで、ペアからチャージを取り除くことができる。 この応用の一つとして、教会にも抑圧された人のランダウンがある。 このランダウンでは、抑圧者を対象としてグレード1を実行する。
86acb165 anonymous 2023-01-22 04:23
>>92abc740

あくまでも、私自身の解釈だが、ゲームにおけるあらゆる事象は“問題”であるため、その解決したい問題(抑圧)をフラットにできれば−抑圧は問題に他ならないので−抑圧も(物理的なアクトを介さずに)雲散霧消するはずである。理論的には、自身のバンクやマインドを含む、全ての問題をフラットにできれば、バンクもアナライザーも消滅し、完全なOTが誕生することになるだろう。

ただし、問題がプロセシングでフラットになる条件は、その問題の起因が自らのマインド及びバンクのモックアップである場合である。問題の起因が他者のマインド及びバンクのモックアップである場合は、別の解決策を探す必要がある。完全なOT以外は、物理的なアクトで処理するか、もしくは逃避しかないだろう。
e2769617 Old Timer 2023-01-22 10:09
>>86acb165

論'sの上位OTレベルがゲームを扱うものになっているのも多分そういう理由によるのだろう。 低いグレードは最も高いグレードと同じものを扱っている。
41891f78 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-22 13:51
>>e2769617
俺が書いた。
e95e83ed Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-22 13:54
[Old Timer 随想2023.01.18II] 1950年の幅度は狂信的有神論者と無神論者を低く評価していた。 しかし、幅度の “第7生命衝動” は “時に神と呼ばれるエネルギー” であり、この考えは無神論の一種である。 古代ギリシャでアポロとして人格化されていた太陽を “灼熱した石” と考えたアナクサゴラスは無神論者に分類されることがある。 西欧における “神” の定義も一様ではない。 幅度は «生存の科学» 初版でアナクサゴラスに敬意を表している。 幅度と無神論の関係は複雑だ。
f3e9e16a Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-22 20:23
[Old Timer 随想2023.01.19] 本1から新時代・拡張まで含めて、教会の戴安寧 (“大姉” とういう表記を “戴安寧” に改めることにした) は継続時間ゼロの出来事を扱えない。 準OT当人のケースには継続時間ゼロの出来事が少なからず含まれるので、戴安寧で処理するなら、自由領域の拡張戴安寧が必要になる。 しかし、もちろん、GPM処理という選択肢もあり、それのほうが自由領域では人気が高い。
7f202b7b Old Timer 2023-01-23 10:13
アメリカの “イスラムの国民” というイスラム系団体が菜園教会と親密な関係を築いているらしい。
https://exscn2.net/threads/syncretism-the-nation-of-islam-supreme-technology-workshop-presents-dianetics-in-the-quran.4859/#lg=attachment17683&slide=0
19c1ab90 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-23 15:18
>>7f202b7b
俺が書いた。

一方、 最新の分派 (おそらく自由領域系ではないが、論's寄りだ) はイスラエルで勢力を広げている。
https://scnil.org/english/about-us/

教会は今後様々な競合団体と覇を争うことになりそう。
5382588b Old Timer 2023-01-25 10:08
1946年にアレイスター・クロウリーはグレイディー・マクマートリーにこう書いている: “It is not good talking about Frater 210 coming over. He has got under the influence of a person whom I believe to be an ordinary Con Man; at any rate he is acting quite insanely, and as far as I can see, both deceitfully and dishonourably. I am still waiting to hear whether the adverb “dishonestly” should not be added to this list. In any case he would not come, because, — O curse these people who have no ideas of their own and can do nothing but pick up my ideas and try to put them into operation without in the least understanding them or knowing how to bring them to success! — apparently he, or Ron or somebody, is producing a Moon Child. I get fairly frantic when I contemplate the idiocy of these goats. (I apologise to goats.)”

Frater 210 = Jack Parsons

幅度はクロウリーに “平凡な詐欺師” と評されていた。 クロウリーの技術の一端は菜園のオブジェクティブズに繋がっている。
98ee2cd3 anonymous 2023-01-27 14:22
第五波動か…
d42d3138 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-27 15:19
[2023.01.19II]  以前の戴安寧で処理済みの出来事からも、拡張戴安寧はさらなるチャージを取り出し、消去できることがある。 しかし、これが自由領域の主流になることはないだろう。 ケースをあまりに深く掘るプロセスはさらなるチャージを再刺激する。
61e14956 anonymous 2023-01-28 19:20
 オールドタイマーさんの意見と異なるかもしれませんが、私も菜園教会で、ケースを深く掘られました。低いグレードのプロセスを受けていましたが、あるときから聴聞士が『見透かされたウィズホールド』ばかり聞き出すようになりました。ちょっとしたことでも白状させられて、菜園教会を離れても、何か隠し事をするのが難しくなり、小さなちょっとした過失でも気になってしまいます。『ケースの深掘り』でしょうか?菜園教会と関わっていたのは15年以上前です。
5649f037 Old Timer 2023-01-28 21:38
>>61e14956 前処理 (ルードメント) がうまくいかなかったんだろう。 少し深く掘ってしまったかのしれない。 “見透かされたウィズホールド” (後に “見透かされそうになったウィズホールドに訂正された) の処理には間違いが多い。
a0ebef20 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-28 23:52
>>5382588b
>>5649f037
俺が書いた
258357ae anonymous 2023-01-29 10:30
>>5649f037

 61e14956 の名無しです。オールドタイマーさんご返答ありがとうございます。
 少し楽になったような気がします。
5e35865d Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-29 10:47
>>258357ae

前処理の見透かされそうになったウィズホールドで本来処理すべき部分は、ウィズホールドされている出来事ではなく、そのウィズホールドが見透かされそうになった瞬間の方なので、ウィズホールドについて聴聞士が詳しく質問するのは間違い。 これはグレードIIの講演記録 «見透かされそうになったウィズホールド» で詳しく説明されている。 PCとしてのそなたには何も悪いところはなかったと思う。
742cf7a1 anonymous 2023-01-30 21:22
>>5e35865d
たしか責任に関する会議だったか文献だったかで「ウィズホールドする能力の回復」が必要みたいなこと読んだと思うんですが、隠し事が苦手だと色んな仕事で支障が出そうで大変ですよね。スパイとか企業の機密情報扱うとか、個人情報取り扱い業者とか。
d6e8dbb6 Old Timer 2023-01-31 09:10
>>742cf7a1 責任の定義のところの “ウィズホールドする能力” は ‘行動を差し控える能力’ のこと。 これにはもちろん隠し事を保持する能力も含まれていて、例えば自衛官などは守秘義務を履行する能力を必要とする。 他に、例えば、女子高生から援助交際を持ちかけられたり、半グレから闇バイトを持ちかけられたりした時にも、行動を差し控える能力が必要になることがある。
ffa49c1d anonymous 2023-01-31 19:13
裏社会で使える奴は軍事でも使える。

軍事力増強叫ぶ奴らが、過度な潔癖症には違和感を覚える。
5f53ee5e Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-31 23:52
>>d6e8dbb6
俺が書いた。
d5034d32 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-01-31 23:59
>>ffa49c1d

それもそうだ。 国家とヤクザは似ている。 国家には領土や領海があり、ヤクザには縄張りがある。 国家は徴税し、ヤクザはみかじめ料を巻き上げる。国家とは大成功したヤクザが作ったものなのだ。
062c6e6b Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 00:00
1951年9月、 «生存の科学への追記1»、幅度: ❝それからマルクスは集団だけが重要だという理論を唱えた。❞

赤全集を通して読んでいる。これで3回目だ。最近、幅度はあまり学がないと感じるようになった。 マルクスは «共産党宣言» で民主主義を、 «資本論» で交換価値と自由市場を、 «ゴータ要綱批判» で成果主義と社会福祉を唱えている。 しかし、マルクスについて幅度の知識はアメリカの平均的な労働階級の人のそれと大差ない。
56267432 anonymous 2023-02-04 03:42
>>062c6e6b

「マルクスは «共産党宣言» で民主主義を、 «資本論» で交換価値と自由市場を、 «ゴータ要綱批判» で成果主義と社会福祉を唱えている。 しかし、マルクスについて幅度の知識はアメリカの平均的な労働階級の人のそれと大差ない。」

私は、オーストリアンの立場から、マルクスの『共産党宣言』と『ゴータ綱領批判』と『資本論』を読みましたが、オールド・タイマーさんの解釈こそ、不破哲三以上の曲解です。

マルクスは『共産党宣言』で「ゲバルト(暴力)」を梃子とした革命を展望しました。また、『ゴータ綱領批判』では、社会主義の青写真として、市場を介在しない「労働証書」による分配を論じました。この労働価値説(アービトラリー)に基づく分配計算は『資本論』とも絡んで、一冊の本人なるほどの“杜撰”つまり実装不可能なものです。そもそも、マルクスの史的唯物論の土台となった歴史分析が余りに幼稚で、あらゆる面に渡って修復不可能な論理的不整合があります。このことに、百万言を費やしても良いですが、またオールド・タイマーさんとの不毛なイデオロギーの論争になるだけでしょう。
61494400 anonymous 2023-02-04 03:50
>>56267432

一例を挙げる。

マルクスの史的唯物論は、封建時代の領主と現代(資本主義社会)のブルジョアジー(資本家)を同列に並べてるが、全くの誤りである。『資本論』も『ゴータ綱領批判』もこの前提が誤ってるから、当然、経済学も論理的整合性が全くない。

封建時代は領主がその土地の人民の支配者であるとともに雇い主でもあった。この時代の年貢や賦役は一種の税金である。マルクスは、封建領主の年貢と賦役が不払労働即ち可視的な搾取の証明であると説く(※一方、資本家の搾取に関しては不可視ゆえに、実証できないが理論的仮定として間接的に証明されるとする)。

一方、現代の資本主義社会(資本主義国家)は国家の指導者かつ国民の代表者である為政者と雇い主である企業が分離している。そもそも、現代資本主義国家の企業の真の所有者である株主は経営陣を雇うが、労働者を雇うのは経営陣である(資本と経営の分離)。

マルクスは封建領主の年貢と賦役を不払労働即ち搾取だと規定しながら、現代の資本主義国家における警察権を担保とした政府の徴税(権)の存在を完全にスルーして、封建時代の搾取(≒納税義務)を現代の資本主義社会における資本家の「搾取(※仮定の理論)」なるものに、そのままスライドさせている。

マルクスの元々の論理的前提に基づくならば、現代の資本主義国家における徴税は、不払労働即ち搾取そのものでなくてはならない。つまり、百歩譲って資本家の搾取が存在するにしても、搾取に現代国家の徴税が含まれていないことは、明らかな理論上の欠陥である。

また、マルクスは史的唯物論における社会形態の分類を、統治形態と生産/交換様式で分離せずに、生産様式でのみ分類している。そして、統治形態は権力支配の実態であるにも関わらず、下部構造(生産様式)に従属する上部構造として無視している。ゆえに、現代資本主義国家における政府という強大な権力機関の存在を(意図的か否かは不明だが)捨象してしまっている。この捨象という理論的誤誘導によって、ブルジョアジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)という、マルクスの「資本主義=階級社会論」が導き出されている。

その他、マルクスの理論的欠陥は無数に存在する。
8d36476e Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 09:38
>>61494400

マルクスの親友エンゲルスは資本家であった。 マルクスはそもそもブルジョワ革命を高く評価している。 また、イギリスがインドを支配することを、インドの資本主義化を促すことができるという理由で、マルクスは支持したのだ。

マルクスは生産関係である下部構造を上部構造と分けて考えている。 "治形態と生産/交換様式で分離せずに、生産様式でのみ分類している" はマルクス解釈として正しくない。 マルクスは主に下部構造に関心を寄せ、それを自らの考察の領分としていた。 上部構造側についての注文は民主主義だけである。
e9b1d7c9 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 09:39
>>56267432

マルクス思想による暴力革命は民主主義体制の確立までのみにおいて許容される。 これは歴史の唯物的分析を踏まえており、具体的な事例として、フランス革命やアメリカの独立戦争がある。
cca165b4 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 09:42
労働証書は社会において既に不完全ながら実装されている。タイムカードだ。
83dd6a61 Old Timer 2023-02-04 10:26
マルクス思想では、生産組織外の課題を民主主義、自由市場、成果主義、社会福祉の実現としているが、具体的な実現方法を述べているのは民主主義だけである。 民主主義が実現されれば、他の三つもやがて実現される。

生産組織内の課題は市場開拓、労働者技能向上、生産組織効率化である。 経済学の主流がこれらを扱うことに熱心ではなくなったので、これらを扱う別の学問が経営学として成立した。

 幅度はマルクスを嫌ったが、菜園組織運営はマルクスが提示した課題に取り組んできた。

もちろん、社会は変化し、マルクス思想では扱えない現象も存在する。 これはケインズ思想についても同じで、ケインズ経済学はケインズが死ぬ前にアメリカですでに破綻した。 インフレ率を制御できなくなり、政府は物価統制に踏み切った。
ed02b0a2 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 21:50
>>83dd6a61
俺が書いた。
b0fd9866 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-04 22:01
1951年11月、戴安寧聴聞士公示 第2巻 第5号, «権威主義についての随筆», 幅度: ❝例えば、キリスト教は人々の心を2000年間掴んだが、チンギス・ハーンの剣は人と領地を80年間すら飼いならせなかった。❞

凡庸な間違いだ。 モンゴル帝国自体は1206年に始まり、1635年に終わった。その後、1857年まで、チンギスの帝国の後継であることを誇らしげに主張する王朝が現れた。
1f8b3ddd anonymous 2023-02-04 23:09
>>cca165b4

やはり、オールド・タイマー氏は、肝心要の欠陥に対しては、全くお答えにならない。私はマルクス主義及びマルクス経済学のロジックと縁が深いので、オールド・タイマー氏が広く薄い知識をまくし立てても全く痛くも痒くもない。

『ゴータ綱領批判』は社会福祉ではなく社会主義そして共産主義を展望するための著作だし、マルクスの「労働証書」は資本すなわち企業に雇用された賃労働(労働力の商品化)の廃止が目的である。そのために、資本≒企業という枠組みを解体し、アソシエーションに基づく連合労働に置き換えることで、私有物である資本を純粋な社会的生産手段へと変える。そして、市場メカニズムというブラックボックスと通貨(信用貨幣)を廃して、社会的計画生産と労働(時間)に基づく分配を実現する。これがマルクスの考えた(設計した)共産主義の前段階である社会主義社会の構想である。資本と賃労働を前提とした“タイムカード”が「労働証書」であるなど、噴飯物の珍説である。

マルクスの分配論には、二重の解決(実装)不能な命題が存在する。それは、搾取が廃止された社会主義社会においては、①いかなる基準で公平な報酬(※賃金とは言わない)を与えるか、②いかなる基準で商品/サービス(マルクス主義の用語では消費手段)の価値(※価格とは言わない)を定めるか、の二点である。

上記の二点を“市場を介在させずに”実装するのは、理論上も実装上も不可能である。特に、労働価値説に基づく正しい商品価値(資本主義経済では価格)の設定は至難の技だ。何故なら、最終消費財を生産するための生産手段を含む生産財あるいは消費財にも(過去)労働の価値が含まれているので、無限後退に陥るからである。

マルクスの云う社会主義による分配を実現するには、“個々の”消費手段(消費財)を労働時間で表現しなくてはならない。それこそが価値規定の意味だ。当然、個々の消費財には無数の労働が介在している。さらには、個々の消費財は、無数のパーツから構成されている。個々の消費財に関して、“精確に”労働時間で表現することができなければ、分配の問題は解けない。

マルクスの社会主義を実現するには、それを通貨(信用貨幣)と市場のメカニズムを介在させずに「労働証書」によって、かつ社会的計画生産によって実現しなければならない。それは、理論上も現実上の実装も不可能だ。

この解決不可能な分配問題(分配計算)という理論上の欠陥を、ソ連のマルクス経済学では、産業関連表や物材バランス(バランス評価)を使って解こうとしたが、当然のことながら失敗に終わった。
f6094fa2 anonymous 2023-02-05 00:03
>>e9b1d7c9

まず、ブルジョア革命という概念がまやかしだ。ブルジョア革命という(社会科学の)用語は、統治形態と生産様式を分離していない。ブルジョア革命は、資本家階級(ブルジョアジー)の政治支配を意味するが、国家権力と資本家階級の経済的支配の確立は別物である。また、ブルジョア革命の対概念であるプロレタリアート革命は、現実の歴史として実現されてはいない。

フランス革命(法の支配の破壊)とアメリカ独立戦争(法の支配の確立)の性格は全く別物である。これを、同じブルジョア革命で括るのはとんでもなく粗雑な“マルクス教”の思考である。合衆国憲法は、現存する(現役の)最古の成文憲法である。

フランス革命における憲法は使い捨ての憲法である。ジャコバン憲法は、ロベスピエールによってその施行を無期限に延期された。独裁者の恣意こそが最高の法であった。この憲法空位の無法状態の期間に、独裁者の恣意を国民に強制する恐怖の国家機関が設立された。それが、革命(人民)裁判所と公安委員会である。この革命裁判所と公安委員会は、フランス中にテロルと殺戮をもたらした。これのいったいどこが、自由をもたらす“民主主義”革命なのか?

では、なぜフランス革命は圧政とテロルで終わったのか?なぜ、憲法空位が許されたのか?それは、法の支配を破壊する、人民主権論とルソー流の「一般意志」に基づく民主主義至上主義によって、「憲法制定権力」なる三権を超越した国家権力機関の存在によってである。憲法制定権力とは、軍事クーデターで国家権力を掌握した軍部が設置する「国家●●評議会」のようなものをイメージしてもらえばわかるだろう。

憲法制定権力が制定した憲法は、憲法の名こそ関しているが、実際には寿命数年か憲法空位の使い捨て憲法であった。立法権絶対の独裁で始まったフランス革命は、最終的に、行政権絶対のナポレオン独裁体制で終わることになる。憲法制定権力なる絶対権力機関が存在する限り、いかなる憲法も名ばかりのものとなる。後の旧ソ連・東欧諸国の共産党という名の絶対権力がそうであったように。

マルクス/エンゲルスの述べた、「プロレタリアートの執権(ラテン語のディクタツーラ)」とは、分立された国家権力の各部分(三権)ではなく、共産党(共産主義者同盟)が国家権力の全体、つまり全権力を握るということを意味している。これは、英米法流の自由保守主義に基づく法の支配の破壊である。

社会主義法は大陸法の亜流であるが、大陸法は人定法至上主義に基づく法治主義であり、英米法流の法(≠人定法)の支配を軽視する。マルクス/エンゲルスの法概念は権力の道具としての法である。すなわち、大陸法の人定法至上主義を借用した、「プロレタリアート(という名の共産党[共産主義者同盟])の執権」、これが、旧ソ連・東欧の社会主義諸国において、共産党の絶対権力により国民の自由がことごとく蹂躪された歴史の根本的な元凶である。

ヒトラーおよびナチス・ドイツの統治を法の支配を破壊する「命令法学」によって正当化(弁護)した、詭弁法学者のカール・シュミットによれば、「過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり、ドイツ第三帝国の総統たるアドルフ・ヒトラーは、この民族共同体の全ての法の法源に由来し、民族の意志を体現する指導者である」という。

「私は、議会の信任によって国民の代弁者としての地位と権限を与えられた。ドイツ国民の言葉が私の言葉である。ドイツ国民のみに私は従属する。」(A・ヒトラー)

これは、ルソーの云う典型的な一般意思に基づく統治の表明である。即ち、一般意思の体現者がヒトラーであり、その権威は民主主義によって担保されていた。ナチス・ドイツは、民主主義至上主義の極左思想家であるルソー流の「一般意志」と反動保守の「國體」観念との悪魔合体である。

極左思想の「一般意志」と極右思想の「國體」観念は、その底流(すなわち、為政者による法の支配の破壊)において共通である。この極左と極右の悪魔合体こそが、ヒトラーとムッソリーニによる法の支配の破壊の正体である。

ムッソリーニもヒトラーも、ボナパルティズムの亜流であり、ナポレオンの劣化コピーの域を出るものではない。このような人定法の命令を至上の法と看做す統治は、英米法流の法の支配の破壊そのものであり、ボナパルティズムとフランス革命のイデオロギーは、法の支配の破壊という本質において同一である。

カール・シュミットの詭弁を、合衆国憲法起草者であるアレクサンダー・ハミルトンの『ザ・フェデラリスト』における「司法部の権能と判事の任期」よりの引用と比較してみよう。

「権力を制限する憲法とは、立法権に対して特定の例外、例えば私権剥奪法とか事後法などを通過させてはならないことを規定した憲法を意味する。この種の権力制限は、憲法の明白な種子に反する一切の立法行為を無効であると宣言するのが裁判所の義務なのである。」

「立法行為を、憲法に違反しているがゆえに無効と宣言する裁判所の権利(※違憲立法審査権)に関して、【この理論は結局のところ、司法部の立法権に対する優越を意味する】。」

この立法権に対する司法権の優越たる違憲立法審査権が存在しなければ、法の支配は成立しない。

重要なことは、司法権にコモン・ロー審査の権能が与えられていることである。合衆国憲法が初めて規定した司法による違憲立法審査権は、エドワーズ・コーク卿の『コーク判例集』の「コモン・ローは制定法に優位する」との法理を発展的に継承したものである。

法の支配の担保とは、為政者の権力の肥大化(権力欲の暴走)を抑制するのみならず、法律(人定法)の制定者たる為政者にコモン・ローを含む法≒ノモスの縛りを課すで、為政者の立法者としての権能と裁量を最小化させることである。

すなわち、法律(人定法)の制定者兼警察権の行使者たる為政者には、コモン・ローの審査員たる権能は与えては絶対にならないのである。ノモスの裁定権は、国民でも為政者でもなく、司法権に付与されるべきという立場が、ハミルトンの立場であり、コーク卿の本意でもある。
d7d0d4c6 anonymous 2023-02-05 00:13
>>062c6e6b

古典派及びマルクス経済学の前提である労働価値説自体がアービトラリー(まやかし)である。思弁ではなく観察(オブノーシス)に基づく経済学を確立しようと思うならば、アダム・スミスとデヴィッド・リカードの労働価値説から疑うべきだ。ここからが、リアル経済学であるオーストリアンの出番となる。

例えば、ブランド商品の付加価値などは労働価値説では説明できない。商品価値とはなんだろうか?それは、相対的(可変的)なもので、労働の介在の有無に関わらず、単に「稀少性」と定義する。

LRHが講演で述べているように、「価値の本質とは(単に)稀少性」である。稀少性≒価値は、財及びサービスの交換(エクスチェンジ)における相対的な欠乏で決まる。通貨(信用貨幣)の流通量に対して財/サービスの稀少性が高まればインフレーションであり、逆に、財/サービスの流通力に対して、通貨(信用貨幣)の流通の稀少性が高まればデフレーションである。オーストリアンも、LRHと同様の結論である。

LRHとは、「資本主義とは、欠乏のゲームである」と言う。その通りである。価値は欠乏によって変化するのだ。アービトラリーなのはマルクス/エンゲルスの理論のほうなのだ。
c01b1a81 anonymous 2023-02-05 00:33
>>d7d0d4c6

旧ソ連・東欧の社会主義国家はスターリン主義国家であり、マルクスの構想した社会主義国家ではない。だから、社会主義の実験は終わっておらず、失敗もしていないという主張が未だに存在する。だが、マルクスの構想を忠実に実装しようと奮闘した国家が存在した。それが、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義である。

マルクスの展望した社会主義の要件とは、「労働の開放(生産および労働と産業の民主化)」と「(市場と通貨を介さない)社会的計画生産」と「(自然改造や技術革新による)生産力の飛躍」の三つである。この同時達成は不可能である。

ソ連や(ユーゴ以外の)東欧諸国は、マルクスの“実現不可能な”命題の実装を、行政的な産業編成に基づく企業の国有化と共産党および政府の官僚による統制計画経済(事実上の配給制)で誤魔化して逃げた。

ティトー率いるユーゴスラビアでは、レ・スターリンモデルの社会主義に対抗するために、マルクスの命題に関して、アソシエーションに基づく「労働の開放」を優先した。もちろん、マルクスが展望した労働証書に基づく社会的計画生産は、最初から不可能だった。徴税も通貨(信用貨幣)に基づく賃金も温存されたし、中央計画経済はソ連型の党の独裁化を招くことが不可避である。ゆえに、市場を介した社会主義となった

旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義においては、企業(正しくは労働連合組織)は、労働者評議会を通じた職場の代議員(リコール有り)によって統治され、また居住のコミュニティーにおいては、地域の代議員(リコール有り)を選出する(職場の代議員と地域の代議員は頂点の連邦議会で融合)という直接民主制が採用されていた。

自主管理社会主義モデルは、ティトーがスターリンに対抗するために、マルクスの理論に最大限忠実に、①資本≒企業という概念の解体(アソシエーションとしての連合労働)、②労働者による生産(手段)の直接管理、③国有でも私有でもない「社会的所有」概念の導入を行った。これは、完全な社会実験だった。

だが、難攻不落のティトーにおいても、実装不可能なマルクスの命題があった。それが、通貨の廃止(マルクスは「労働証書」を以って通貨と代替させることを構想した)および市場の廃止であった。結局、通貨と市場(これは実質的に「配給制」の旧ソ連・東欧の社会主義国には存在しなかった)は温存された。

ユーゴ(ティトー)流の自主管理社会主義だと、生産(産業)は民主化されるが労働分配が過剰になり、長期の投資が停滞する。生産(産業)における民主主義と効率性や生産性は相反する。生産における民主主義を重視するなら、生産性は諦める必要がある。

高度な生産力と産業(生産)における民主的意志決定は両立しない。なぜなら、経済における民主的意志決定の導入とは非効率そのものだから。そもそも、民主主義とは意志決定における非効率性とコストの許容。経済における民主主義より、生産力を重視するなら、資本主義市場経済の一択しかない。

労働の開放を重視するなら、ユーゴ型の自主管理社会主義になるし、社会的計画生産を重視するならソ連型の官僚統制経済になる。どちらも破綻した。もちろん、生産力と生産性を重視するなら、資本主義市場経済しかない。社会主義では生産力が飛躍するどころか、“墜落”不可避だからだ。
391ab831 anonymous 2023-02-05 00:47
>>c01b1a81

『ゴータ綱領批判』でマルクス/エンゲルスは、社会主義の体制においては、搾取が廃止される社会主義社会においては、「社会的控除」を除いては全て労働者の労働に応じた分の価値(消費手段即ち財やサービスを選択し購入する権利)が還元(分配)されると述べている。では、この社会的控除とは何か?

第一のカテゴリーは生産のための社会的控除であり、第二のカテゴリーはそこからさらに公共的なニーズ充足のための社会的控除が差し引かれる。第一のカテゴリーにおいては、①再生産、②拡大再生産、③保険としての基金である。

第二のカテゴリーにおいては、①生産の行政管理(企業の間接部門を含む管理運営や官僚機構)部分、②学校・公営住宅(社宅)・病院・社会インフラのような公共ニーズの部分。③労働不能者のための社会保障である。これら、①の一部と②と③は、資本主義国家の税金(徴税)に相当する。

この社会的控除の第二のカテゴリーにおいて、マルクス/エンゲルスは、①の生産の行政管理部分(企業[正しくは労働連合体]の管理運営部門や官僚機構)は、資本主義社会に比べて著しく減少し、②の公共ニーズ充足の部分は、資本主義社会に比べてますます拡大するだろうと述べている。

しかし、現実の旧ソ連・東欧諸国の社会主義体制を見ればわかるように、社会主義体制においては、上記①の生産管理部分(官僚機構)は、資本主義国家と比較して著しく肥大化した。ゆえに、社会主義体制においては、生産力が飛躍するどころか、リソースの浪費とイノベーションの停滞により著しく低下した。

また、官僚機構の肥大化とともに、国家の三権を支配下に置き、法の支配に縛られない共産党国家の絶対権力は、宗教警察的なイデオロギーによって国民の思想信条を統制し、それはまさに形而上学という上部構造による神権政治の唯物論版そのものであった。

マルクス/エンゲルスの述べたブルジョアジーによる階級支配というおとぎ話は、旧ソ連・東欧諸国においては、国家権力に寄生するノーメンクラツーラ(共産党幹部≒赤い貴族)という特権階級の支配にそのまま応用された。

社会主義国家の階級は出生で縛られる(つまり選別される)ゆえに、完全な貴族階級の支配する階級社会である。共産党に搾取される末端の労働者と農民階級は、居住と移動の自由も職業選択の自由もない奴隷階級である。階級が生まれで固定されているという残虐非道さは、資本主義社会の資産や所得に基づく格差の比ではない。
bafbefb1 anonymous 2023-02-05 00:49
>>8d36476e

下部構造と上部構造という社会構造の階層概念こそがアービトラリーの産物であり形而上学である。統治形態と生産/交換様式と文化/民俗/イデオロギーは、並列の相互作用の関係にある。マルクスは法秩序を上部構造と呼んで軽視したことが、法の支配(≠法治主義)および三権分立を破壊する共産党独裁の国家体制(党治支配体制)の成立をもたらす元凶となった。

マルクス主義の弁証法(弁証法的唯物論と史的唯物論)には、重大な欠陥が存在する。それは、ヘーゲルの絶対精神を無理やり共産主義に置き換えただけのものなので、共産主義で歴史が終わってしまうということである。つまり、事象のダイナミックを扱う弁証法でありながら、スタティックな形而上学(≒神学≒イデア)がゴールとして組み込まれてるのである。私がマルクスの思考を幼稚だと述べたのは、(能力に見合わない)壮大なビジョンを描こうとしながら、その中身が余りにも杜撰だからである。

そもそも、共産主義というユートピア自体が、地上に天国(神の国)を作るというローマ・カトリック教会の唯物論版でありし、マルクスのアソシエーショニズム(アナーキニズムの一種)としての共産主義は、イスラム教スンニ(主流)派のカリフ制アナーキニズムの社会体制とそっくりである。

マルクスの想定する共産主義は、①社会の生産力が高度に飛躍し人間が必要労働から開放され、②暴力装置としての国家権力が不要になる社会(それは擬制法人としての国民国家体制≒ウェストファリア体制の解体に他ならないだろう)という二重の要件が課されているが、そもそも社会の生産力と統治形態は別物である。

共産主義の本質はアソシエーションに基づくアナーキズムなのだが、そのアナーキズムを実現する過程でプロレタリアート独裁という強大な国家権力を求める。マルクス主義は、国家の法制度を下部構造である経済(階級)関係に従属する上部構造と呼び軽視する。ここで、権力分立や法の支配は機能しなくなる。

労働者の独裁はすぐさま共産党の独裁に置き換えられ、共産党(員)の独裁はやがて中央委員会の独裁に置き換えられ、中央委員会の独裁は政治局(員)の独裁に置き換えられ、最終的には政治局の独裁は、一人の書紀長という名の最高権力者に置き換えられた。

この最高権力者である共産党中央委員会政治局員のトップたる書紀長は、それ以前のどの時代、どの国家の専制君主よりも強大かつ万能な権力を持っていた。それは、まさに、地上を支配する神のごとき絶対権力であった。
1a86bb99 anonymous 2023-02-05 00:59
>>f6094fa2

共和制と民主制は異なる。アメリカ合衆国は立憲民主制ではなく立憲共和制なので、人民主権という発想は存在しない。

人定法たる社会法は、人間が合意し運用するものなので当然エラーが付き物である。そのために、権力欲を抑制し統治権力を分散させるための立憲的な権力分立システムが必要になる。フランス革命のような人民主権の直接行使は、テロルと全体主義による圧政をもたらす。

アメリカの独立革命が成功したのは、トマス・ジェファーソンがフランス革命の失敗の過程を間近に観察していたからである。ゆえに、彼は人民主権による人民民主制ではなく、権力分散型の立憲共和制の政体を選択した。

LRHが述べたように、「制限なき自由」と「自由なき抑圧」は同じ結果をもたらす。フランス革命の制限なき自由は、為政者の“一般意思”による人民主権の行使をもたらし、これがテロルと圧政を招いたのである。

イギリスの成文憲法典の一部を構成するマグナ・カルタ、権利請願、権利章典、王位継承法等には、英国臣民の権利は定められているが“人権”なる概念は存在しない。では、アメリカの合衆国憲法はどうか?

アメリカの権利章典(憲法修正第1条から10条)にも、フランス革命の産物である人権や国民(人民)主権の概念は登場しない。なぜなら、1789年のフランス人権宣言に二年先立って合衆国憲法は起草されたからである。ちなみに、アメリカで権利章典が憲法修正で追加されたのが1790年。

だが、アメリカは権利章典においても、フランス革命流の人権概念を採用しなかった。アメリカ合衆国憲法が世界最長の成文憲法として現在も存在し、自由と秩序を曲がりなりにも維持したのに対して、人権概念を“発明”したフランス革命は圧政とテロルに終わり、憲法すらまともに施行されなかった。

もともと、人権と人民主権思想はフランスの革命思想のパッケージの一部である。これは、立憲主義をコモン・ローを含めた「法の支配」と捉える英米法の憲法観と、立憲主義を為政者による「法治主義(その結果がナチス・ドイツと旧社会主義国の命令法体系)」と捉える大陸法の憲法観の違いが関係している。

英米法に基づく憲法観では、フランス革命流の人権思想のみならず、国民(人民)主権という概念も存在しない。なぜなら、主権とは無制限の権力であり、為政者であれ国民であれ無制限の権力を与えるなら、立憲主義に基づく法の支配は崩壊するからである。

イギリスの政体は立憲君主制であり、アメリカの政体は立憲共和制である。どちらも、立憲民主制でないことに注目してもらいたい。合衆国憲法が、憲法空位も暴力革命もクーデターも独裁も生まずに、世界最長の成文憲法として存在しているのは、デモクラシー(民主主義)に対する懐疑と専制政治と衆愚政治のバランス感覚を持っているからである。

人権思想を発明したフランス革命が生んだ圧政とテロル、憲法空位と使い捨てされる憲法、王政復古とナポレオンの専制政治といった成果と、自由と秩序をもたらし世界最長の成文憲法として生き長らえた合衆国憲法のどちらが正解だったかは、歴史から明らかである。

繰り返すが、トーマス・ジェファーソンはフランス革命を間近に目撃して、そのフランスの統治(憲法)観の破壊性を認識した。合衆国憲法はフランス革命の教訓を元に、ルソー流の人民主権論を排除することで権力が暴走しないように設計された。

英国のエドワード・コーク卿の述べた「国会主権」は、二重の意味で誤読を生みやすい表現である。

まず、ここでコーク卿が云う「主権」とは、無制限の権力でも対外的な国家主権でもなく、コモン・ローを含むノモスの裁定権の主体者を指す。次に、ここで云う「国会」とは、当時の英国における高等法廷としての国会である。つまり、司法権にノモスの裁定権が付与されるべきということである。

ゆえに、コーク卿の「国会主権論」を曲解して、国民や為政者に無制限の立法権と権力を付与する人民(国民)主権論やノモス主権論≒為政者主権論を導き出すことは誤りである。コモン・ローを含むノモスの裁定権は、国民でも為政者でもなく司法権に付与されるべきという立場が、コーク卿の本意なのである。

法とノモスは同義であり、法(法≠人定法)とは自由を担保するためものであるから、法の支配とノモスを切り離すことはできない。

人民(国民)主権論も君主主権論もノモス(共同体)主権論も、同じ穴の狢である。ノモス主権論は、ノモスを規定するのは、結局、為政者に他ならないので、為政者主権論である。権力分立に基づく法の支配は、人民(国民)であれ君主であれ為政者であれ、主権という名の無制限の権力を誰(またどの機関)にも与えない。

英国の法の支配(≒立憲主義)の発展の歴史は、一貫して権力を抑制することであった。エドワード・コーク卿の後に出現したジョン・ロックは、「抵抗権(革命権)」なるものを提唱したが、英米法には本来、抵抗権なる思想と無縁であり、ジョン・ロックは異物として位置付けるべきである。

加えて、マルクスが称賛した抵抗権(革命権)なる代物は、法の支配の概念の希薄な人定法至上主義の大陸法諸国に必要となる思想である。法の支配とは、抵抗権など不要となるように主権者の存在を排し、国家権力を抑制することであるから、そもそも抵抗権が必要とされる状況は憲法(秩序)の失敗に他ならない。

よく誤解されるものが、合衆国憲法における民兵組織と国民の武器所有≒武装権の規定(修正第二条)であるが、これは抵抗権の合憲化ではなく、連邦政府の常備軍による権力の独占と肥大化を抑制するための条項である。

とは言え、合衆国憲法そのものも、内在する欠陥により、今や機能不全に陥っていると言わざるを得ないが。
ac9e8738 anonymous 2023-02-05 01:01
>>f6094fa2

訂正、

エドワーズ・コーク→エドワード・コーク
4509b32f anonymous 2023-02-05 01:13
>>83dd6a61

マルクスは資本論において、国家権力に基づく警察権を担保とした徴税権と通貨発行権を扱わなかった。また、政府の経済的機能を分析しなかった。この結果、後に撤回されるこよになる、プロレタリアートの「絶対窮乏化」なる珍説を説いた。そもそも、いくら資本家が搾取しようが、商品は生産しただけでは売れない。消費者に買ってもらわねば企業の利益は出ない。その消費者の大多数は労働者たるプロレタリアートである。資本家が利益を惜しんで労働者から搾取したこころで、労働者に消費者たる購買力が存在しなければ、せっかく資本家が“搾取”して作らせた商品も在庫の山である。当然、利益など出るはずもない。赤字経営だろう。ところで、赤字経営で、資本家はどうやって労働者から“搾取”するというのだろう?

マルクスが捨象した現代国家の経済的な政府機能(財政・金融政策)は、マルクスのやポスト・ケインジアンの系譜を継ぐ異端派経済学であるMMTなどで論じられてはいる。だが、このMMTなる理論も、所詮は失敗に終わったケインジアンおよびニューディール政策の焼き直しであり、国家主導で官製需要の比重を引き上げ、民間需要のリソースを毀損するだけの反自由主義経済学に過ぎない。
c5dafca2 anonymous 2023-02-05 08:11
>>b0fd9866

それは、LRHのキリスト教に対するリップサービス(ポジショントーク)であろう。後に創設されることになるサイエントロジー教会も、外形的にはプロテスタント系のキリスト教会を真似ている。

ユダヤ教の軍事的神秘主義の過激派であったクムラン教団ゼデク派を母体とする原始キリスト教(パウロ教、後のローマ・カトリック教会)の覇権は、古代ヨーロッパから中東に至るまでの地中海沿岸で繁栄し、古代ギリシアと古代ローマまで存続した土着のアニミズム的な多神教とグノーシスの肥沃な知的遺産(図書館に保管された古文献の破却や歴史改竄)・文化伝統(寺院や共同体や学校)・人命(教師や僧侶といった知識階層)に対する大規模なジェノサイドによって確立した。母なる大地の神々は、得体の知れない父権主義かつ単身の宇宙神(God)に置き換えられた。

古代のヨーロッパ大陸で起きた、古代ヨーロッパの先住民に対する狂乱のジェノサイドは、被害者であるヨーロッパ人自身によって再現された。それが、アメリカ大陸におけるヨーロッパ人の入植において起きた、アメリカ大陸先住民(ネイティブ・アメリカン)に対する大規模なジェノサイドである。

かつてキリスト教に征服(侵食)された古代ヨーロッパの先住民の末裔は、時代を超えて今度は、アメリカ大陸においてキリスト教の狂信に基づくジェノサイドを実行した。かつての被害者たちの子孫は、時を超えて加害者となった。このジェノサイドによる暴力と征服の連鎖は、明らかなオバート−モティベーター連鎖を示すものである。
600144b0 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 16:11
>>1f8b3ddd

マルクスにとっての物品や商品の価値は交換価値だ。この点でマルクスはリカルドの投下労働悦を引き継いでいる。価値は市場における交換で決められる。ゆえに、二倍の量の物品やサービスを提供しても、二倍の付加価値を生み出せるとは限らない。
f93b359e Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 17:32
>>f6094fa2

マルクスはブルジョワ革命を高く評価したが、その理由はその革命が上部構造と下部構造の分離を実現したからではない。 マルクスは封建制度の崩壊→ブルジョワ革命→社会主義の実現と資本主義による世界統合→共産主義の実現を社会体制の必然的遷移だと考えたのだ。

フランス革命とアメリカ独立の違いの詳細をどれほど並び立てても、その両方がブルジョワ革命であることに変わりはない。

アメリカの法体系に、ギリシャの怒りや気概に由来するドイツやフランスの社会慣習と法の影響が大きいことは、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマに指摘されて久しい。 "法の支配" と "法治主義" は法の表面的形式の違いの話であり、法が何を規定するのかということとは別である。 だから、アメリカにもフランスと同じ尊厳の概念があり、フランスでも商慣習が法のある部分を形成している。

また、アメリカは労働組合が非常に強力な国家でもあり、宗教を教会ではなく国民が所有する国でもある。 

プロレタリア革命はすでに実現している。 ほぼあらゆる国家の人口の大部分はプロレタリアであり、その国家の国民のそれぞれが人為に平等な条件で参政権を得ているならば、その国家は既に革命後の歴史を歩んでいる。 マルクスが国家体制に突きつけている注文は民主主義の実現のみであり、自由市場、成果主義、社会福祉はゲゼルシャフトの在り方の理想として表明されているものの、マルクスはそれらの実現方法について具体的には何も述べず、後の時代の子に委ねた。

"プロレタリア執権" は三権分立を含んでいる。 これは、 "ブルジョア執権" が三権分立を実現していてもなお "ブルジョア執権" と呼ばれたのと同じだ。これを知らない人はマルクス思想に対して門外漢であろう。

"過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり" ... これはイギリスの慣習法の考え方でもある。よって、イギリスは "憲法" と称される法律を持たない。

社会契約においてルソーを特異なるものと見なすことは一般的ではない。  ロックもルソーも社会契約成立前の人の自然状態から論を進めている。 イギリスとフランスの間の法の表面的形式の違いは、ロックとルソーの間の思想の違いに起因するものではない。

«資本論» は資本主義についてのマルクスの分析の結果をまとめたもので、それ自体は政治的な注文を含んでいない。 "絶対窮乏化" は第2次世界大戦後に国際社会から広く論証されてきた。 その結果の一部は、現在の資本主義は社会主義によって修正されていることに現れている。
b80583ac Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 17:40
1951年11月, 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第5号 ❝Freud’s development in 1894 was largely intuitive and he himself concluded it to be unworkable in 1920.❞

これも平凡な間違いだ。フロイトは1920年に出版された «快楽原理の彼岸» でも リビドー (= 菜園で言うところのダイナミック) などに関する以前からの主張と臨床におけるその有用性を取り下げていない。 フロイトはこのころ "反復強迫" と名付けた現象に関心を寄せ始めたが、それも1894年の時と同じく患者や幼児を観察することから得られた見識によるものであり、研究方法も変わっていない。 変わったのは観察の対象が広がったことなのだ。
7ae7f4db Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 17:50
1951年12月, 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第5号 «決意の処理» ... これはGPM処理と旧OT VIIIに直結している。 幅度が傑出した聡明さを見せることもあるので、油断ならない。
0e919510 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 19:53
>>7ae7f4db
第5号 → 第6号
5d68b00a Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-05 20:10
1951年11月, 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第6号 幅度: ❝物事を経験したいという気持ちが弱まると、人は、変わらないもの、安全だと自分が信じるものついての決して変わらない見通しを求めるようになる。この "安全" を手に入れれば、自分はもっと良く "経験" できると彼は感じるのだが、安全という目標は経験することなしには手に入らない。❞

1951年の幅度のこの発言は、後の幅度の痛々しいほど当てはまってしまう。 技術と組織運営の方法を固定し、進歩を拒もうとしたことで、少なくとも教会は時代遅れの不人気なものになっていった。 1990年時点で世界中の組織の中央ファイルの名前を数えれば800万に達していたが、今や、教会の職員と顧客を足しても3万5千人くらいにしかならない。

今や菜園は論’s、自由領域個人、度路琉など競合団体によっても実践されている。 こういう状況において、菜園教会も交換価値についてもっとまじめに考えるべきだ。
b4008d9b anonymous 2023-02-05 20:53
>>600144b0

全く反論の体を成していない。マルクスは商品の交換価値と使用価値を論じた。だが、市場において交換されないものは商品とは呼べない。従って、交換価値が使用価値および非使用価値(ブランド価値)である。そして、価値の源泉は稀少性すなわち欠乏の程度である。

マルクスが古典派経済学のアービトラリーの系譜を受け継いでいることは、マルクスの正しさの証明にはならないのだ。
d466e674 anonymous 2023-02-05 21:27
訂正

法の支配と法治主義の違いは、法と人体法の違い



法の支配と法治主義の違いは、法と人定法の違い
3038284a anonymous 2023-02-05 21:27
>>f93b359e

「マルクスは封建制度の崩壊→ブルジョワ革命→社会主義の実現と資本主義による世界統合→共産主義の実現を社会体制の必然的遷移だと考えたのだ。」

⇨待ちなさい。社会主義とは、マルクス主義の定義上、共産主義の発展途上の(入口の)段階である。「資本主義による世界統合→共産主義の実現」とは、100年前のレーニンの帝国主義論とインターナショナルの革命論だろう。その“考え”こそが唯物論神学に過ぎないのだ。

「フランス革命とアメリカ独立の違いの詳細をどれほど並び立てても、その両方がブルジョワ革命であることに変わりはない。」

⇨私はブルジョア革命という概念が正しいと思うゆえに、ブルジョア革命説は正しいと言っているにすぎない。それは、マルクス教である。オールド・タイマー氏は、統治形態の違いを無視して同じだと強弁するが、中身の反論は全くない。お話にならない。

「アメリカの法体系に、ギリシャの怒りや気概に由来するドイツやフランスの社会慣習と法の影響が大きいことは、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマに指摘されて久しい。 」

⇨フランシス・フクヤマ(笑)が論拠か。オールド・タイマー氏の頭は、アービトラリーのガベージコレクションか。

「"法の支配" と "法治主義" は法の表面的形式の違いの話であり、法が何を規定するのかということとは別である。 」

⇨何を言っているんだね?法の支配と法治主義の違いは、法と人体法の違い、言い換えるなら、TaoとReasonの違いだ。法の権威そのものの源泉の違いである。

「プロレタリア革命はすでに実現している。 」

⇨いったい何を言っているんだい(笑)?『共産党宣言』から読み直してくれ給え。

「"プロレタリア執権" は三権分立を含んでいる。 これは、 "ブルジョア執権" が三権分立を実現していてもなお "ブルジョア執権" と呼ばれたのと同じだ。これを知らない人はマルクス思想に対して門外漢であろう。」

⇨こんなことをしたり顔で書けるのは、本当に無知な人間のみである。いいか、執権(ディクタツーラ)とは、三権それぞれの権力ではなく三権を含む全ての権力だ。その全権力をプロレタリアート(実際プロレタリアートの代表を自称する共産党[共産主義者同盟])が掌握することを、「プロレタリアート執権」と呼ぶのだ。フランス革命においては、共産党の絶対権力のポジションに「憲法制定権力」が置かれた。故に、社会主義体制では、必然的に三権の上位に共産党の絶対権力が君臨する統治形態にならざるを得ないのだし、実際にそうなった。その結果は、法の支配の破壊による国家権力の暴走である。

「"過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり" ... これはイギリスの慣習法の考え方でもある。よって、イギリスは "憲法" と称される法律を持たない。」

⇨だから書いただろう。英国では、コモン・ローを含むノモスの裁定権は司法が担うのだと。大陸諸国では、警察権と立法権を持つ為政者がノモスを裁定した故に、ボナパルティズムやファシズムやナチズムといった法の支配の破壊を招いたのだと。

「イギリスとフランスの間の法の表面的形式の違いは、ロックとルソーの間の思想の違いに起因するものではない。」

⇨誰が、英国の法思想の代表がロックだなどと述べたかね?
c0d35e86 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-06 01:04
>>b4008d9b

自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。だから、そなたが想像した "いかなる基準で商品/サービス(マルクス主義の用語では消費手段)の価値(※価格とは言わない)を定めるか" という問題は、マルクスの理論に存在しないのだよ。 交換価値を理解できなければ、マルクスを理解することはできない。
0eae6547 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-06 01:22
>>3038284a

イギリスやアメリカの法の支配とヨーロッパ大陸側の法治主義の間にある違いは、社会において法が何かを実現した経緯についての違いにすぎず、法の効力の本質的な違いとはならない。イギリスの人権とフランスの人権が実際に大きく異なるということはない。

現代のイギリスでは法の支配と法治主義の違いが表面的で形式的なものにすぎないことが広く理解され、両者を同一視する見解が多い。イギリス人の "古き良き法と法の支配は異なる" は 法の支配が "古き良き法" から切り離され、 法治主義と同一視されるものへと変化したことを示している。
6f904473 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-06 01:26
>>3038284a

マルクスは三権分立が成立している場合のブルジョア支配についても "ブルジョア執権" という言葉を使っている。だから、 "プロレタリア執権" と "ブルジョア執権" の間で、 "執権" の意味に違いはない。 ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 いずれも単独の独裁者が三権を掌握するということを意味するのではない。
0c9d6d89 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-06 01:36
"ヒトラーおよびナチス・ドイツの統治を法の支配を破壊する「命令法学」によって正当化(弁護)した、詭弁法学者のカール・シュミットによれば、「過去から未来に渡る民族共同体の慣習たる法(≒國體)こそが憲法であり、ドイツ第三帝国の総統たるアドルフ・ヒトラーは、この民族共同体の全ての法の法源に由来し、民族の意志を体現する指導者である」という。"とそなたは述べた。ヒトラーがシュミットに同意できたのであれば、ヒトラーを生んだのは大陸法ではなくイギリスのような慣習法であるということになる。

イギリスの貴族院は立法機関であるとともに、20世紀においても最高裁判所であったことを思い起こすといい。イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。
c2ed85fd Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-06 01:38
なお、2009年にイギリス貴族院から最高裁判所機能は剥奪された。イギリスは徐々に大陸側の法治主義にサヤ寄せしてきたが、21世紀初頭にもその傾向は続いていたのだ。
7adc32b2 anonymous 2023-02-06 03:04
>>c0d35e86

マルクスが想定した「社会主義社会に自由市場を前提にしていた」とは貴方の戯言に過ぎない。市場メカニズムを介してはマルクスの構想した社会的計画生産はできないのだ。自由市場を介在させるなら、最初から、資本≒企業の賃労働に基づく資本主義市場経済で良いことになるだろうが。マルクスが構想した資本≒私有化を廃止して、アソシエーションに基づく社会的連合労働に昇華させる必要も、通貨(信用貨幣)を廃した労働証書による分配も最初から要らなかったことなる。まあ、実際にも、人類の文明発展を阻害した有害思想のマルクスは要らない思想家だったわけだが。

何度も言うが、商品価値すなわち交換価値の本質とは稀少性であり、稀少性は欠乏の度合いによって決まるのだ。いくらマルクス教信者が“信じなければ”マルクスは理解できないと言ったところで、古典派経済学やマルクス経済学のアービトラリーを信仰している限り、貴方が現実の経済社会を理解することはないだろう。
019de25a anonymous 2023-02-06 03:09
>>0eae6547

法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立し得ない。権力分立や個人の消極的自由の担保(個人の消極的自由を侵害しない範囲での個人又は集団の積極的自由の容認)、違憲立法審査権を有する司法権の優位、これらが存在しなければならない。それは、コモン・ローが法の支配と切り離されたことを意味しない。法の支配の一部として含まれているのだ。それがなければ、違憲立法審査権自体の法源が成立しなくなる。
5cbb5e37 anonymous 2023-02-06 03:20
>>0c9d6d89

貴方の反論はいつも同じパターンだ。一面を切り取り、我田引水を始める。オールド・タイマー氏には、詭弁家の素養が多分にある。

「私は、議会の信任によって国民の代弁者としての地位と権限を与えられた。ドイツ国民の言葉が私の言葉である。ドイツ国民のみに私は従属する。」(A・ヒトラー)

私はこのヒトラーの言葉を引用して、これはフランス革命の思想的ベースとなった極左思想家であるルソー流の(法の支配を破壊する民主主義至上主義に基づく)「一般意志」の体現であり、これは反動保守(極右)の「國體」観念との悪魔合体であると述べた。大日本帝国憲法がそうであったように、極左の「一般意志」も極右の「國體(ノモス)」も、為政者自身が裁定するならば、独裁体制だろうと民主主義体制だろうと、法の支配の破壊は免れない。
69390227 anonymous 2023-02-06 03:31
>>019de25a

英国流の“国民の”権利とは、共同体の法の支配に基づく個人の消極的自由の担保のことである。英国の法の支配の発展は、自由主義(※集団の積極的自由を個人の消極的自由よりも優先する現代の左派リベラリズム≒進歩主義のことではない)および個人の消極的自由の拡大の歴史であった。

一方、フランス革命を契機とする人権なる概念は、特定の個人又は集団(政府を含む)の積極的自由が、権利として個人の消極的自由を侵害することを抑制でき得ない。これが、プロレタリアート執権(共産党による党治体制)の社会主義法ではもっと露骨になる。旧ソ連・東欧諸国の国民が、憲法に規定された人権が存在するにも関わらず、奴隷階級のような被抑圧民の立場に従属させられたのは、権利の拡大解釈に基づく個人の消極的自由の侵害の担保が為され得なかったからである。
31491f78 anonymous 2023-02-06 03:45
>>c2ed85fd

そんなwikipedia並みの知識など、こちらは百も承知だ。したり顔で御高説垂れるほどのものではない。

「イギリスにおいて貴族の暴走を防いでいるのは、庶民院が立法において貴族院に優越し、なおかつ、王冠の所有者であることだ。」

⇨権力機関の抑制と均衡という概念を知らないのか?庶民院が、ルソー流の人民主権論および民主主義絶対主義に基づく万能の権能であったなら、法の支配は担保されない。

歴史的に、貴族(院)が王権を剥奪し、次いで庶民院が貴族から王権を剥奪したのは事実だ。故に、王冠は庶民院に存在し、21世紀の初頭まで司法権は貴族院内に存在した。また、英国の場合、庶民院の最高委員会が内閣である。加えて述べれば、国王/女王も議会に含まれる。つまり、国政の全ての権能が議会で完結している(いた)のだ。これは、もちろん、英国の歴史を踏まえた形式(※英国は破綻しない限りは伝統的形式を尊重する)であり、実質的な三権分立が機能していないということではない。
10fdb13c anonymous 2023-02-06 05:07
オールド・タイマー氏の思想を並べてみる。

・ヘーゲルを知らないマルクス教。マルクス/エンゲルス流の稚拙かつ幼稚な弁証法的唯物論と史的唯物論(※歴史学として最も幼稚かつ杜撰な歴史分析)を未だに信仰なされている。

・ルソー流の民主主義至上主義に基づく人民主権論者である。

・自由社会の個人の消極的自由の担保に基づく法体系と法秩序より、全体主義社会の集団による積極的自由の実現を重視する。

・英米法流の法の支配より大陸法流の人定法に基づく法治主義(※戦前の大日本帝国憲法もその一つ)を好む。

・法の支配に基づく自由主義より、民意あるいは為政者の一般意志の裁定に基づく民主主義に価値を置く。民主主義に基づく専制国家(「プロレタリアート執権」)は容認(というより推奨)する。
169dada8 anonymous 2023-02-06 06:44
>>31491f78

なお、ブレア政権によって貴族院の最高裁の権能が剥奪されたことは、英米法流の法の支配から大陸法流の法治主義への接近などという反動(あるいは人民主権的な民主主義≒為政者絶対主義への迎合)とは何の関わりもない。

実質的に英国は権力機関の分立(三権分立)を含む法の支配(すなわち真の立憲主義)が実現されていた。貴族院からの最高裁権能の剥奪は、漸進主義的改革(機が熟した結果)に基づいて、三権分立を内実のみならず外形的にも担保したものであり、むしろ法の支配の強化である。

なお、これもわざわざ述べておかないと、オールド・タイマー氏の性格上、言質で揚げ足を取られる可能性があるので付言するが、立憲主義は成文憲法と不文憲法とを問わない。いくら憲法典が存在しようとも、旧ソ連・東欧諸国のマルクス・レーニン主義に基づく共産党政権のように、運用において権力分立や個人の消極的自由の担保を含む法の支配(に基づく自由社会の法秩序)が担保されていなければ、立憲主義に基づく統治形態とは看做せない。
046ec6e4 anonymous 2023-02-06 07:05
>>6f904473

「ブルジョワ執権体制はブルジョワが立法、行政、司法を掌握し、プロレタリア執権体制ではプロレタリアがそれら三権を掌握している。 」

⇨ブルジョア支配(ブルジョア執権体制)などという概念自体が、統治形態と生産様式(に基づく主従関係)を混同したアービトラリーだ。

資本主義市場経済を採用する多党制の自由主義国家で、いったいどこの政党がブルジョア(資本家階級)を代表していると言うんだ?それとも、ディープステートやCFR(外交問題評議会)が真の支配階級か?あるいは、ユダヤ金融資本かね(笑)?昔のフランスのコアビタシオン(保革共存)は、果たしてブルジョア執権体制か?それともプロレタリアート執権体制か(笑)?

財産や身分に依らない一人一票の普通選挙に基づく多党制の自由主義国家においては、あらゆる政党があらゆる集団の利害関係を代表(代弁)する。例えば、少子高齢化の現代日本ならば、有権者は現役世代より高齢者の声が圧倒的に強いだろう。

一方、マルクスの述べたプロレタリアートの執権とは、実際にはプロレタリアートを代表する共産党(共産主義者同盟)の一党支配である。一党支配に基づく共産党が専制君主の代替として国家権力の上に君臨する以上、権力機関が如何に外形的に分立していようとも、その内実において三権一体の共産党独裁体制(もちろん法の支配の完全否定)になる他にないだろうよ。
7a5f51a5 anonymous 2023-02-06 07:25
>>c0d35e86

オールド・タイマー氏は、問題を見ないことによって、問題は存在しないと言い張る。経済学とその歴史だけでなく、サイエントロジーの基本原理を勉強し直すすべきだ。問題は見なければアズイズはしないのだから。

まさに、“これこそが”マルクス経済学の根本問題なのだよ。この理論上の難問が解決できなければ、マルクスが理想として提示した社会主義社会の実装はできないのだから。いったい、オールド・タイマー氏は、『ゴータ綱領批判』の何を読んだのかね?貴方の目は節穴なのか?この主題の重要性が理解できないならば、経済学はもちろんだが、マルクスを語る資格など全くない。
8d019bdc anonymous 2023-02-06 23:54
>>31491f78

なお、オールド・タイマー氏は誤解しているかもしれないが、私は現代において貴族院は不要だと考えている。ブレアの改革で貴族院の定員は大幅に削減されたわけだが、世襲の貴族階級という身分制そのものが不要であろう(※ブルジョア階級なるものは存在しないが、英国における貴族階級は社会的実体として存在する)。究極的に言えば、国家元首としての君主(国王/女王)も不要である。ただし、君主制は、国家の外交カード(バーゲニングパワー)として用いることができる限りは地上から消滅することはないだろう。

アンドリュー・カーネギーは、英国移民出身のアメリカ大富豪だが、英国流の世襲貴族制の発生を嫌い、相続税の強化を提案していた。これは、自由主義および自由社会の維持において正当な主張であろう。

ただし、最終的に一院制にするならば(※貴族院が日本の参議院のように公選の上院へと改革されるのが先だろう)、公選の庶民院が暴走しないように、解散なしで半数ごとの改選にする必要がある。加えて、法の支配を強化するために、司法権の強化が不可欠だ。議会の代議士に匹敵する人員の判事を司法機関が独立して選出し、事後的に議会の弾劾と国民審査に付されるようにする。また、議会すなわち為政者自身による憲法改正権を制限する必要もある。加えて、選挙制度や政党法などの為政者あるいは政党の利害に関わる事項は、憲法で縛る必要があるだろう。

法の支配の確立は、三権の分立だけでは不十分である。モンテスキューも、権力分立を三権のみに限定してはいない。教育機関(※教育機関の組織編成や人事権や教育内容)と報道機関も、国家権力や特定の利害関係に基づく資金から独立している必要がある。
5bc6e5c9 anonymous 2023-02-07 01:55
>>7a5f51a5

マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。

資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、労働(量)に応じた分配ではなく、保有する資産に応じた分配が為されるゆえに、不労所得が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資本を持てる者と持たざる者との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。

ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、③労働証書に基づく分配システム、④自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境の存在しない共産主義社会を構想したのである。

ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
9dd5fc18 anonymous 2023-02-07 02:23
>>5bc6e5c9

※文意がより明らかになるように訂正した。

マルクスは「抽象的労働」というものを考えた。これは、「具体的有用労働」に対する概念であるが、“抽象的な”概念ではなく、むしろ唯物論に基づく実体的な概念である。あらゆる個別具体的な労働の形態を剥ぎ取って、労働そのものを抽出したら何が残るだろうか?言い換えるなら、分業に基づく社会経済(社会的生産)の労働(賃労働)の本質とは何だろうか?それは、「(労働者個々人の)肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費」である(これはマルクスの唯物論的な思考をよく表現している)。マルクスは、この肉体における筋肉あるいは神経のエネルギー消費量を基に、“等価交換”が行われるべきだという壮大な(ある意味では大それた)構想を考えた。これが、「労働(量)に応じた分配」の本質である。

資本主義市場経済においては、生産手段が資本として私的所有されており、ゆえに、労働者は自身の労働力を商品として資本に提供せざるをえない。また、資本主義市場経済では、市場と通貨(信用貨幣)を通じたブラックボックスによって商品(製品/サービス)の価格が決定される。ゆえに、必然的に労働者は資本家のみならず、資本という物神(リヴァイアサン)に支配されることになる。資本主義市場経済においては、「労働(量)に応じた分配」ではなく、保有する「資産に応じた分配」が為されるゆえに、不労所得(≒搾取)が生じ、ゆえに所得の格差が生まれる。資産増殖のマシン(道具)である生産手段あるいは金融資産たる資本を「持てる者」と「持たざる者」との格差は年々に拡大し、相続によってその階層は半永久的に固定化される。これがブルジョア階級による支配の実態である。これが、マルクスの考えた資本主義市場経済の有様であった。

ゆえに、資本主義市場経済をアソシエーションに基づく社会主義計画経済に転換して、①労働者の共同決定を通じた生産および産業の民主化、②通貨や市場を介在しない社会的計画生産、および、労働証書に基づく分配システム、③自然改造と技術革新による社会の生産力の飛躍、を実現しなければならない。このようにマルクスは、社会主義社会(社会主義国家)とその先に実現すべき、国家および国境と家族や宗教の存在しない(不要となった)共産主義社会を構想したのである。

ゆえに、マルクスを持ち上げながら、「プロレタリア革命は既に(実質的に)実現されている」とか、「市場を通じた分配で社会主義は実現できる(不破哲三及び日本共産党の立場)」と語ることは、マルクスに対してつばを吐き掛けるに等しい冒涜に他ならないだろう。
2e80d657 anonymous 2023-02-07 04:25
>>8d019bdc

保守主義とは何でもかんでも保守することではない。本来の保守主義は、保守反動でもなければ守旧派でもない。漸進主義に基づく改革は積極的に推進していくのが、真の保守主義である。なぜなら、変化しない限り、生物・無西部に関わらず、あらゆる存在は生存(存続)することができないからである。

しかし、保守主義においては、理性(Reason)より経験則に基づく歴史的叡智(Tao)を重視し、理性や情緒といった一過性の民意あるいは為政者や独裁者の恣意を懐疑することで、急進主義に基づく設計主義的な社会システムの改変を戒める。その結果、漸進主義的に社会を改革していくのである。

例えば、英国における王政の廃止にしても、一飛びにはできない。まずは、貴族院の公選制導入による民選議員化と、それに続く貴族階級自体の廃止を経て実現される長期的な政策課題である。理想像を掲げるのは良いことだ。しかし、何事にも、その理想に至るために必要な段階(ステップ)とプロセスというものが存在する。各プロセスには、継続性が存在しなければならない。各プロセスの一つ一つにおいては前後の連続性が存在しても、長期で比較すれば大きな変革となるのである。それをしなかったことが、フランス革命やロシア革命が圧政とテロルに転化した理由である。

また、これも付言するが、法の支配の確立においては、あくまでも“法の支配を妨げない限りにおいて”コモン・ローあるいは過去の判例が尊重される。例えば、インドのカースト(バルナ)制度は、インドにおけるコモン・ローではあるが、これは法の支配(ここでは法の下の平等)に反するゆえに、尊重されてはならない。
b14f4c15 anonymous 2023-02-07 19:04
>>9dd5fc18

マルクスを批判するには、マルクス以上にマルクスの論じた主題を分かりやすく表現する必要がある。そして、マルクスの意図・理想・美的感覚の奥底に迫って、マルクスに徹底的に感情移入することである。そして、その正しさや正当性をとことん突き詰めて弁護してみるべきである。その極地に至って初めて、マルクスの思想の悪魔性(毒)あるいはカルト性が見えてくる。

軽薄にマルクスをつまみ食いして、自分流のご都合主義的な解釈に歪曲した上で、情緒でマルクスを持ち上げ称賛するような人間にはマルクスの真の理解など得られようはずもない。それは、日本共産党の不破哲三のような「マルクス読みのマルクス知らず」の自己満足的理解(学習)に過ぎないのだ。
1d297d6a anonymous 2023-02-07 19:38
>>c0d35e86

「自由市場での交換価値を理論の前提にしているので、マルクスは政府が物品やサービスの価格を決定することを想定しなかった。」

⇨オールド・タイマー氏のこの書き込みの意図をようやく理解した。主語の省略によって、これでは、文意が非常に曖昧である。

確かに、マルクスは『資本論』において、資本主義市場経済における、異なる使用価値を持つ商品どうしの交換価値について論じた。しかし、それは来たるべき社会主義社会(社会主義国家)の実現に応用されるべき前提の分析なのである。マルクスが社会主義社会(社会主義国家)における分配を「想定していなかった」訳などない。

それは、『ゴータ綱領批判』を読めば明白である。『ゴータ綱領批判』において展望されている社会主義計画経済を実装するには、社会主義社会における分配について『資本論』で提起された資本主義市場経済の分析を踏まえて、具体的な(労働量および労働時間に応じた)分配の基準とその方法が解明されなければならない。

マルクスの展望した社会主義社会とは、単に『資本論』における剰余価値(m)≒搾取が存在しないという単純なものではない。具体的に、個々の消費手段(すなわち消費財)に労働量および労働時間の価値が反映されなければならない。そのための手段の一つが、マルクスの提案した「労働証書」による分配であるが、その労働証書の価値をどうやって個々の労働者と個々の消費手段(消費財)に割り当てるのかという問題(難問)が残る。

なお、マルクスは来たるべき社会主義社会において、資本≒企業による賃労働や市場や通貨(信用貨幣)に基づく商品経済を想定していない。旧ソ連のマルクス経済学では、産業関連表や物材バランス(バランス評価)を用いて、その難問を解決しようとしたが、結局、失敗に終わった。

これは、マルクス経済学の根本問題なのである。この問題が解決されない限り、マルクスの展望した社会主義社会(社会主義国家)は実現されないからである。なぜなら、理論において解決できないモデルは、実装不可能だからである。社会主義社会(社会主義国家)が実現不可能であれば、その先の共産主義社会の到来など望むべくもないのだ。
8907ef0d anonymous 2023-02-07 23:09
>>062c6e6b

「マルクスは集団だけが重要だという理論を唱えた。」

このLRHの言葉は、マルクスの

「人間的本質は、個々人に内在するいかなる抽象物でもない。人間的本質は、その現実性においては社会的諸関係の総体である。」(『フォイエルバッハに関するテーゼ』)

を踏まえてのものだろう。

このLRHの(マルクスが要するに「集産主義者」であるという)要約と評価は、マルクスの弁証法的唯物論(※弁証法を加えても唯物論の本質は同じである)を踏まえれば正当なものだと思われる。

ただし、LRH自身も、サイエントロジー教会のマネジメント(アドミン)は、レーニンやスターリンを参考にしたとしか思えないほど集産主義的であったということも付け加える必要があるだろう。LRHは「言っていること」と、実際に「やっていたこと」のギャップが激しい人間であった。
556524df anonymous 2023-02-08 06:11
>>8d019bdc

教育権の独立、すなわち教育と学問および教育機関の国家権力の干渉からの自由は、法の支配の確立に不可欠である。これは、フリードリヒ・シェリングの『学問論』の偉大な着想である。

特に、旧ソ連や東欧諸国の共産党一党支配の社会主義国家においては、マルクス・レーニン主義という国定のイデオロギーが国民に強要された。同様の現象は大なり小なり、現代の資本主義国家においても、ナショナリズムや民族主義、あるいは逆に左派リベラリズム主導のポリティカルコネクトによる表現規制によっても行われている。中東のイスラム圏においては、(そもそも信仰の自由を含む思想信条の自由も性的関係の自由も存在しないが)さらに露骨である。

また、「法の不知はこれを許さじ(許さず)」という言葉があるが、法の支配の確立には、国民が法および法令を知る必要がある。イスラム法学者たちは、「西洋の民主主義国には法の支配が存在しない。なぜなら、誰も自国の法律を知らないのだから。」と、現代の民主主義国家を嘲笑するが、この批判に関してはその通りであろう。

ただし、イスラム法は、政教分離の原則も、個人の消極的自由の担保も、権力分立も存在しない点で、真の法の支配(立憲主義)とは相容れない。イスラム法の正義は、単にイスラム法は自由社会の法体系および法秩序や各共同体(国々)のコモン・ローに優越すると述べているに過ぎない。ゆえに、理性およびエシックスに基づく法体系および法秩序ではなく、アービトラリーに基づく法体系および法秩序である。
cc6c8dbf anonymous 2023-02-08 12:19
>>556524df

訂正

ポリティカルコネクト→ポリティカルコレクトネス
ae3560f7 anonymous 2023-02-09 03:55
>>0eae6547

オールド・タイマー氏、まさか膨大な英米法の歴史と概念を、wikipediaで調べられたんでしょうか?たまたま、暇つぶしに「法の支配」をwikipediaで調べてみたら、wikipediaを杜撰に要約したようなオールド・タイマー氏のこの文章を思い出し、もしかしてと思いましたが。
cf18ee58 anonymous 2023-02-09 03:58
>>ae3560f7

もしや、労働価値説と交換価値の話もネタ元はwikipediaですかね…。おそらくですが。
d4c9c2be anonymous 2023-02-09 19:35
>>cf18ee58

wikipediaは、メタ的に批評できる程度の知識を学んだ者が、ダメ出しのドリルとして使うのが良い。門外漢の分野をwikipediaで調べて引用したりすれば火傷することになる。
51273c84 anonymous 2023-02-11 02:34
法学及び法哲学はエシックスとも深く関わる主題である。理性に基づく法学の体系化は、ブックワンにおけるダイアネティックス(後のサイエントロジー)の主要な目標リストの一つでもあった。

サイエントロジーにおいては、エシックスの定義(「ダイナミクス及び生存の最適解」/「最大多数者の生存の追求」)より、エシックスとダイナミックが関連付けられている。力なくしてエシックスは機能しないが、力のみで理性が存在しなければ、またエシックスは機能し得ない。

法学を経済学に対比して、形而上学(非科学)的な上部構造と看做して、その重要性を軽視したカール・マルクスは、後世の歴史に多大なる禍根を残した。マルクスは、自分自身が、アービトラリーに基づく、非科学的なイデオロギーと非科学的な経済学を構築したことを最期まで認識することができなかった。
0c28f9a2 anonymous 2023-02-11 02:46
>>51273c84

この集合宇宙のゲームと様相とは、生命のセータとMESTの戦いであり競争である。生命とMESTは、その起因においては、生命が主でありMESTが従である。MESTは本来、生命の奴隷である。しかし、生命は、いつしか自身がMESTの奴隷であるかのような見せ掛けを信じるようになってしまった。その信仰(アービトラリー)の思想的表現が唯物論である。

生命及びアートマン(セイタン)は、そのゲームにおいて、コスモス(宇宙・自然)及びMESTの支配・征服・統制を志向している。言い換えるなら、生命の活動とは、MESTの無秩序(≒混沌)にセータの秩序(≒蘇生)をもたらすことである。なぜなら、MESTの征服こそが生命の自由だからである。生命における最も強力かつ根本的な生存のダイナミックとは、自由へと向かう衝動である。これが、生命にプログラムされた、生命の根本的な行動原理であり行動目的である。

自然界や自然法則の支配・征服・統制と言うと、エコロジーの志向とは反するのではないかと思われるかもしれない。思想的な系譜としてはその通りである。しかし、これはダイナミクスの最適解というエシックスの主題と汎決定という概念を用いることで、生命・アートマン・セイタンの自由とエコロジーの追求は両立可能なゴールとなり得る。

唯物論は、生命・アートマン・セイタンは自然界及び自然法則を越えることはないこと、つまり、私たちはコスモス・自然界の奴隷であることを、繰り返し私たちに教えるものだ。物質は、決して物質を越えることはできない。「物質が思考している」と説く唯物論の下では、私たちの思考でさえ物質(すなわち肉体の脳)の産物であるのであり、思考さえも物質の偶発的産物なのであるから、私たちの主体たる意識は幻想であり、自由意思も選択の自由もないという帰結に至る。唯物論の世界では、私たちは、ただMESTの気まぐれな運命に翻弄されるだけの無力な存在である。

しかし、それは誤りである。サイエントロジーに限らず、ゴータマ・シッダールタに極まるインドの哲学及びヨーガの精神的実践、そして老子や仙道の実践者たちは繰り返し、そのことを教えてきたのだ。

私たちはコスモスの協力者として生まれたのではない。私たちは、自然の競争相手(ライバルであり敵)として生まれたのである。私たちは奴隷たるコスモスの主人である。しかし、無明によって自らを縛りつけているのである。生命の唯一の目的は、主体である自分自身客体であるコスモスの主とならせることである。主体を強くすることである。それによって、有限なるコスモスはあなたを支配することをやめるであろう。すなわち、自然法則という効力(MESTの合意)が無効化されるであろう。

「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」(ゴータマ・シッダールタの滅後に書かれたインド聖典)
995de46a anonymous 2023-02-11 04:55
>>0c28f9a2

「それぞれのアートマンのゴールとは、完全なる自由、コスモス(自然)の支配すなわち物質と想念への奴隷状態からの開放である。外なる自然と内なる自然の完全な支配と統制である。」

※物質≒MEST、想念≒コンシダレーション
cfbc8974 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:37
[Old Timer 随想2023.01.19II]  以前の 戴安寧で処理済みの出来事からも、拡張戴安寧はさらなるチャージを取り出し、消去できることがある。 しかし、これが自由領域の主流になることはないだろう。 ケースをあまりに深く掘るプロセスはさらなるチャージを再刺激する。
f512de8f Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:44
1952年1月 戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号 ... 自由領域の拡張戴安寧に近いやり方で幅度が戴安寧の聴聞をこなしている。 標準戴安寧や新時代戴安寧にはない技法が使われている。 これらを使えば、クリアー以上のケースレベルでも戴安寧は実行可能になる。 俺は一応この生涯で独自に戴安寧を準OTに対して実行できる工夫を一つ発見したと思ってきたが、一つ前の生涯で戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号を読んだことがあったのかもしれない。もしも以前に俺が準OT用戴安寧を開発したと宣言していたとしたら、ここでそれを取り消すことにする。
82a548a9 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 21:52
>>7adc32b2

マルクス曰く、 "交換価値は、さしあたり、ある一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現われる。"

マルクスは市場を否定していない。交換価値の根拠は市場での交換なのだ。
346f3621 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 22:08
マルクスは生産について、 "自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる" と述べているが、これも市場を否定していない。生産と消費の両方を計画かつ支配しない限り、、市場で製品・サービスは通貨や別の製品・サービスと交換される。

計画的に生産するのは、株式会社でも同じだ。トヨタはカンバン方式などで綿密な計画生産を実現してきた。

マルクスの理想はゲゼルシャフトでの計画生産だ。ゲゼルシャフトは会社から国家まで、さまざまな形態と規模を取りえる。

アメリカも中国も、例えば、半導体の生産を計画的に進めている。 → https://www.meti.go.jp/press/2021/06/20210604008/20210603008-4.pdf
9d3ed598 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-11 23:56
戴安寧聴聞士公示 第2巻 第7号での幅度とPCのやり取りを読むと、幅度の質問や指示をPCが理解できず、幅度が言い回しを変えている箇所がいくつもある。 英語の表現力が菜園の実践で不十分になる場合や、英語の経年変化もある。

ギリシャ語の "πίστη" はもともと '信じられるに値すること' を意味していたが、"faith" や "信仰" などと訳されて、本来の意味が伝わらなくなっていることが多い。 "faith" の代わりに "trustworthiness" としている翻訳も読んだことがあるが、まだ広くは使われていない。

菜園も英語の経年変化で意味が正しく伝わらなくなる危険性がある。

そこで、最小の橋については、経年変化が小さいエスペラント語を基にした言語を作り、その言語で技術を記述し、後世の人々がその時代の言語に翻訳して使うことができるようにする方針を採ることにした。
dea21cad Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-12 00:07
また、自由領域を含めた菜園とは別に、エスペラント語サブセットやロジバンなど人工言語を用いる宗派・学派を設立することにした。名称は "Resciologio" (再知学) である。かつて完全なOTだったころ、俺たちは何でも知っていた。 聴聞はかつて知っていたことを再び知るために行うものなのだ。
ba13d782 anonymous 2023-02-12 00:35
>>82a548a9

それは、(マルクスの云う)価値法則と価値規定の混同だ。マルクスは、社会主義の段階においても“価値規定”は残ると述べた。しかし、社会主義の段階においては、資本主義の下の商品交換に基づく“価値法則”はもはや残らない。価値法則が成立するのは、資本主義市場経済の段階までである。社会主義における価値規定とは、個人の労働量に基づく分配であり、その分配の差異は労働に基づく個人の権利として残るのである。これは共産主義の段階においては、社会の生産力が飛躍するので、価値規定さえも不要となる。

また、それは、資本主義を前提としたマルクスなりの一断面の分析である。マルクスが想定した資本主義経済においては、まず産業資本においてブルジョアジーの剰余価値≒搾取が存在し(主に工業向けの産業資本)、次に市場を通じたブラックボックスによる商品価格の決定が行われる過程で剰余価値≒搾取が発生する(この段階で、本来の価値法則は覆い隠されている)。こちらは、主に商業向けの産業資本だ。さらに、『資本論』第三部で扱われる金融資本の剰余価値≒搾取(利息や株主配当などのインカムゲイン)も想定される。

ゆえに、マルクスは社会主義社会(社会主義国家)の段階においては、アソシエーションに基づく社会的計画経済(社会的計画生産と社会的計画分配)を構想しており、資本≒企業を通じた賃労働、市場のブラックボックスを通じた商品価格の決定、通貨(信用貨幣)を通じた流通の全てが廃止されることになる。その一つの試みが「労働証書」を通じた消費手段(消費財)の分配である。

ちなみに、レーニンの『帝国主義論』においては、国家独占資本主義を現代世界の主な支配階級と看做しているので、グローバルな産業資本、国際金融資本、国家の支配階級がブルジョアジーの正体であり、国家の支配階級による通貨発行権や徴税権を通じた搾取も分析対象となる。
835f6b1a anonymous 2023-02-12 01:11
>>dea21cad

以前に、オールド・タイマー氏自身が言語の基礎は発音(つまり音声)だと教えているのだが、なぜ音声と紐付かない人工言語をベースとするのか?ここの主題は、オールド・タイマー氏は非常に詳しいと思われるが、一応、参考のために述べておく。

言語概念は、音声回路に基づいてマインド及び脳のワーキングメモリに分類されかつ保管される。音声の類型が形式的な論理形式に紐付き、さらに表層の形式的な論理形式に深層の意味及び概念と紐付くことによって、コミュニケーションを通じた理解(ARC)が成立する。

人工言語がその普及に失敗するのは、音声類型ではなく論理形式から出発しているからである。言語学における生成文法と認知文法は、表層の論理形式と深層の意味及び概念の相互依存的な関係である。認知と音声認識は切り離せない。ゆえに、究極の認知文法は生成文法を包含するメタ文法であるが、生成文法(のアプローチ)は認知文法を包含することができない。

※ノーム・チョムスキーは、生成文法を通じて普遍的な言語形式を見出そうとしたが、主に欧米の屈折語の諸言語と孤立語化した屈折語である英語を対象としており、膠着語を包含した言語形式への知見が不十分だったために普遍化に失敗し、リベラル派の社会学に逃げてしまった。
12b166f0 anonymous 2023-02-12 01:43
>>346f3621

資本主義経済が“社会的な”生産であることは当たり前だ。マルクスは社会的な生産と資本の私的所有の矛盾が、資本主義における止揚されるべき主要な矛盾であると述べた。

フォード流のベルトコンベアー方式でも、トヨタ流のカンバン方式でも、(ボルボ流の)セル生産方式でも何でも良いが、それらはミクロにおける生産様式の差異であり、資本主義経済システムというマクロの生産様式自体が覆されることにはならない。

マルクスの想定した社会主義社会(社会主義国家)は、資本主義市場経済流の市場や通貨(信用貨幣)を通じた分配を前提としていない。

マルクス・レーニン主義者として、「社会主義においても市場が必要だ」と、最初に述べたのはスターリンだ。以後、日本共産党はスターリンを批判しながら、スターリンの説いた基本原則をそのまま採用することになる。

ティトーのユーゴスラビアの自主管理社会主義でも、資本≒企業の概念を解体し、アソシエーションに基づく連合労働に変革することまではできたが、市場経済と通貨(信用貨幣)を廃止することは遂にできなかった。ゆえに、スターリンは一国社会主義路線(世界革命路線の放棄)も含めて、リアリストとしては(ある意味で)正しかったが、マルクス主義者としては基本教義から逸脱していた。

ちなみに、旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義は、産業形態においては、オールド・タイマー氏の述べるゲゼルシャフトそのものである。自主管理社会主義は、市場と通貨(信用貨幣)こそ残存したが、資本≒企業を廃した連合労働(アソシエーション)の概念に基づくプロジェクトごとのフレキシブルな“社会的生産”を行っていた。

民主的な生産様式である自主管理社会主義がうまくいかないのは当たり前である。なぜなら、「(私的)所有」という概念がない限り、人間は生産手段も道具も生産物も大事に扱わないし、それらは適切に管理されないからである。これは、マルクスのイデオロギーそのもの欠陥でもあるし、社会主義及び共産主義の欠陥でもある。
bcd856c8 anonymous 2023-02-12 09:14
>>ba13d782

マルクスの想定では、資本主義市場経済という生産様式が、生産力の発展を阻害するというものであったのだが、歴史に照らして、実際には生産力の発展では資本主義市場経済こそが最も合理性があったことになる。

また、マルクスの構想した社会主義の要件である、①共同決定による労働及び産業の民主化(これは、皮肉にも、社会主義国の東ドイツではなく資本主義国の西ドイツで採用された)と②社会的計画生産に基づく全体最適の実現(合成の誤謬の発生の排除)の要件は、③生産力の飛躍というマルクスの構想したもう一つの社会主義の要件と両立し得なかった。
a35575f3 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-13 14:36
[Old Timer 随想2023.01.19III] ターミナルとオプタームをグレードで処理する場合、フローは9個になる。 しかし、フロー3がフロー8までに増えるだけなので、一般グレードのフローを増やす必要はない。 また、GPMのターミナルペアを処理する際に、フロー3からフロー8までにリードがあることは少ない。
48cee557 Old Timer i1b5ibip3kS 2023-02-13 14:42
>>019de25a

論点がずれている。ここでは法の支配の構成要素としてコモン・ローの話をしているのではないよ。法の支配が法治主義にサヤ寄せしてくという話で、イギリスでは両者が同一視されているのだよ。そなたはもう少し主張を整理整頓するといい。
de9927e8 anonymous 2023-02-13 15:09
>>48cee557

全くズレてなどいない。英米法学の素養のない状態で、貴方がwikipediaを参照し(もちろんこれはオールド・タイマー氏の文章からの推定に過ぎないものだが)、杜撰に引用しているから指摘したまでである。法の支配と法治主義の“実態”の違いもわからずに、こんな無意味な反論をするとは、サイエントロジストの恥晒しでしかないのだよ。

wikipediaを読んだ程度で、膨大な英米法学を俯瞰したかのような軽薄なコメントを控えられよ。貴方こそ、門外漢の分野(特に法学や経済学)に軽薄なコメントを書かれるのを慎むべきだ。西村博之氏のように、生半可な知識で詭弁を弄してマウントを取ることが、オールド・タイマー氏の趣味であるなら仕方ないが。

貴方は、感情に任せて反論する前に冷静になったほうが良いだろう。“薄く広い”教養を披露する前に、自らがコメントする分野に関する“深く狭い”研鑽を積むべきだ。

もちろん、これは、オールド・タイマー氏のサイエントロジーに関する知識の豊富さ(教養)を否定するものでは全くない。
5ecccf73 anonymous 2023-02-13 15:37
>>de9927e8

法の支配は、オールド・タイマー氏が私への反論のネタ探しで、wikipediaを参照したくらいで語れるほど浅い主題ではない。

法の支配が法治主義にサヤ寄せしていくなどと、オールド・タイマー氏は杜撰な引用で軽薄に述べているが、それは日本国憲法が大日本帝国憲法にサヤ寄せしていく(べきだ)と述べているに等しい。大日本帝国憲法は、典型的な大陸法の法治主義に基づいている。大日本帝国憲法が失敗したのは、英米法流の法の支配が希薄だったからである。時代は、逆に、(法秩序の実態として)法治主義から法の支配へと向かっているのだ。なお、法の支配を放棄して反動的に法治主義へと向かうロシアやハンガリーは、例外的な事象と捉えるべきである。

法の支配はコモン・ロー“だけ”では成立しない。ゆえに、法の支配と自由主義(個人の消極的自由の担保、権力分立、違憲立法審査権による司法権の優位)との関係について述べたのだ。コモン・ローを含むノモスを警察権・軍事権・立法権を有する為政者自身が裁定する(大陸法の流儀)か、司法が裁定する(英米法の流儀)かは決定的な違いだ。前者を肯定すれば、ジャコバン主義・ボナパルティズム・ファシズム・ナチズムの亜流の出現を抑制することはできない。オールド・タイマー氏の論は、一部の法解釈の変容と実態としての法の支配の変容を混同させている。
2ebb4f8a anonymous 2023-02-14 06:47
人類(ホモ・サピエンス)は、短期のサイクルにおいては、家庭であれ、学業であれ、仕事であれ、同じサイクルを繰り返す。しかし、長期のサイクルにおいては大きく変容する。例えば、一個人の肉体が、出生時点と臨終を迎える地点とを比較してみれば一目瞭然だろう。

では、この長期の変化は何によって生じるのか?マルクスやエンゲルスの言うように(いわゆる史的唯物論の観点)、人類(ホモ・サピエンス)の生産活動あるいは生産労働が変化の主体であるならば、この変化は説明できない。なぜならば、人類(ホモ・サピエンス)は、肉体の一生のスパンでは、生産労働あるいは生産労働において従属的な受け身の立場にあるからだ。ゆえに、短期では同じサイクルを繰り返す。

社会の変化の主因は、輪廻転生のサイクルを含めてマインドを通じたものだ。マインドは、当然反応バンクも含む。つまり、個々人(ビーイング)のマインドどうしの相互作用及び集合バンクの相互作用だ。社会(あるいは時代)の変化の主因は、目に見える物質的要因より、目に見えない精神的要因のほうが遥かに大きいのである。LRHが述べたように、物質ではなく各ビーイングの(マインドを通じた)思考≒コンシダレーションこそが、社会を変化させる主体である。

もっとも、ゴータマ・シッダールタやヴェーダーンタの伝統のように、マインドを精妙な“物質”であり、またマインドを通じた霊的作用を精妙な物質的作用として定義するなら、この立場も唯物論の範疇となるだろうが、このような肉体等の粗大な物質を含むMESTあるいはコスモス(宇宙・自然)を、アートマン及びセイタンのコンシダレーション(※コンシダレーションはアートマン及びセイタンの「合意」を含む)に従属させるような唯物論的解釈と物質の定義は、エンゲルスが観念論と言って安易(早計)に切り捨てたヘーゲルを再評価したレーニンですら到達できなかった視点である。

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